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ポテチの好きな映画についてと感想

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Law Of Desire/La Ley Del Deseo 1987

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ペドロ・アルモドバル監督作品「欲望の法則」について

新進気鋭の脚本家兼映画監督・パブロ。
彼にはティナという姉(実は兄)がいる。幼い頃2人の両親は離婚。
ティナは性転換して実父と愛人生活を送っていたが、
結局捨てられて以来、男嫌いで通る彼女は友人の娘・アダを実の子の様に
可愛がり連れ回るのを日課としている。
パブロには若くてハンサムな恋人・ファンがいるが、2人の仲は最近倦怠気味。
休暇で帰郷している彼からの他愛無い手紙もパブロにはイマイチ物足りない。
商売柄か勝手に熱烈な文面の手紙をでっち上げ、
わざわざファンに送り返させる事で気を紛らわすパブロ。
冷めかけた恋に情熱を呼び戻すのは、その道の熟練者と言えども、
容易な仕事ではないのだ。

空虚な彼の心の中へ、
突然、危険な香りを漂わせた青年・アントニオが飛び込んでくる。
ファンにはない強烈な個性と野性味にあてられ、
パブロは衝動的に彼と関係を持ってしまう。
パブロにとっては単なる出来心だったが、初めての男・パブロに対する
アントニオの異常なまでの独占欲は、一方的にエスカレートしていく。
軽い悔悟の念を抱き始めたパブロ。
彼のつれない態度に苛立ちを感じるアントニオ。
パブロが書いたファンからの偽手紙が発火点となり、
激しい嫉妬の情に駆られたアントニオは、ファンの許へバイクを走らせる。
パブロはファンへの変らぬ愛にようやく気づき、駆けつけた時は既に遅く、
彼は変わり果てた姿となっていた。

警察は、ある手紙を手に入れ "ラウラ・P" という差出人をマークする。
だがそれは、
パブロがティナをモデルに書いている脚本から取った架空の名前で、
捜査は混乱するばかり。
しかも当のパブロは、ファンを失ったショックから、
帰り道交通事故を引き起こし、
頭を強く打ち、一時的に記憶を失ってしまう。
一方、恋に狂い暴走するアントニオの魔の手は、
彼に一目惚れしてしまったティナに向けられていく。
まさか彼が殺人犯とは知らないティナは、
今度こそ幸せをつかめると、有頂天。
記憶を取り戻したパブロはティナのアパートに立てこもる
アントニオの許に赴く。
追い詰められたアントニオは、パブロと最後の愛を交わした後、
自らの命を絶つのであった。


暴走の果てに最期、
パブロとアントニオが抱き合った後に、パブロに毛布をかけて
「杖を取ってくるよ」といったアントニオ。
(実はその後自殺するのだけど)
青白いライトに照らされ、崩した黒い巻き髪、そして白いブリーフ。
それが彼を天使の様で「自らの愛のために命を絶つこと」を決意した
アントニオの恐ろしいほどの神々しさはいったい何だろう。
嫉妬や殺人はキリスト教的には大罪になるはずだが、
そんな罪深き男がこんなにも美しく
神々しい天使の様な姿に見えてしまっていいのだろうか?
この矛盾こそ、この監督が表現したかったことではないのだろうか。
アントニオが自殺した後、
彼はティナやアダが祈っていた祭壇の前で息絶える。
その身体をパブロは膝に乗せ、抱き寄せながら、
自ら招いたこの結果に悶絶する。
その姿がまたキリスト教の聖画のようで実に美しいから不思議な気分に。
官能的とか、同性愛とか、そんな枠組みは取っ払って、
純真にこれは愛の物語。
善くも悪くも、純度が高いとここまで美しく感じるものである、
ただしその2人にとっては....って感じですが。


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All About My Mother/Todo sobre mi madre 1999

http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1279514730

ペドロ・アルモドバル監督作品「オール・アバウト・マイ・マザー」について

マヌエラは、女手ひとつで息子を育てた。
だがある日、大女優ウマ・ロッホにサインをもらおうと
道路に飛び出した息子が交通事故で死亡。
息子の死を別れた夫に知らせようと
マドリードからバルセロナへ来たマヌエラは、
ふとしたことからウマの付き人になる。
同時に、妊娠したシスター・ロサと同居を始める。
ロサは実はマヌエラの元夫の子どもを妊娠していたのだ。
赤ん坊が生まれるが、エイズに感染していたロサはお亡くなりに。
葬式の席で、半分性転換した夫に再会し、息子のことを話すマヌエラ。
ロサの母親が赤ん坊がエイズ感染していることを恐れるので、
新しい息子を守るため彼女は再びマドリードに戻る。
数年後、エイズウイルスを克服した子どもを連れ、
またバルセロナへやってくるマヌエラ。
今度の旅は希望に満ちた旅だった。

http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1279514811

名画「イブのすべて」と「欲望という名の電車」
女であることの悲しみを痛ましいほどに描いたこれら作品を、
物語の展開の中に見事に織り込みながら、
女であることの(そして母の)強さと慈しみを
思ってもみなかったような角度から描いた素晴らしい映画です。

この監督が他の作品も含めて、執拗に描き続けるのは、
薬物依存症患者や性倒錯者、不倫に走る者や宗教的異端の徒など、
社会の主流からはずれた人たちの物語。
社会の周縁部に息づくこうした少数派の人々は、それゆえに、
測り知れないほどの特異な孤独感を常に抱いています。

孤独を埋める手立てを強く求めるあまりか、
ノンケな人々には想像もつかない様な、
越えてはならない一線を越えてしまいます。
そんな一線を越える彼らの姿に言い知れぬ所行を
ノンケな人たちにとっては「哀しみ」として観ている様ですが、
実際のところ、彼らにとっては自然なことで、
「だから何?」みたいな、それをプライドにしたりしています。
この映画が底なしの寂寥感を与えることに終始せず、
爽快感を与えてくれるのは、
そんな生命としての「強さ」が、
根底から生まれては溢れ出続けていることを
感じさせてくれるからだと思います。


Bad Education/La Mala Educación 2004

http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1279454461

ペドロ・アルモドバル監督作品「バッド・エデュケーション」について

ある若手の映画監督・エンリケのもとに、
かつての親友・イグナシオを名乗る青年がやって来る。
舞台俳優だというその青年は、
自らがしたためた脚本を手渡して去っていった。
そこには、エンリケが少年時代を過ごした
神学校で彼との親密な悲しい記憶が描かれていた。
何か胡散臭い、疑惑、愛憎、神父による性的虐待、
複雑な人間関係、そして顛末。
この監督らしい色鮮やかな色彩の中で、
独特でグロテスクな世界が繰り広げられます。

http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1279454524

物語はさておき、ガエル・ガルシア・ベルナルの女装姿に目を見張ります。
ゴルチエのビッチでゴージャスなドレスが映える映える!
あと同監督作品「トーク・トゥ・ハー」の主人公だったハビエル・カマラが、
おばちゃんみたいなオカマに扮していて、
その言動がもう可笑しくて可笑しくて!
スペイン人の気質でしょうか、この監督作品は、いつもそう。
シリアスな展開ほど陽気さが浮き彫りにされて、観終わると割とサッパリ。
そして何故が色彩の赤い印象が残ります。
不思議です、はい。

それにしても映画上映時とDVDのエンディングが若干違うのですが、
何故でしょうか?
私は映画上映時の少し歪んだ表情の
エンリケ・クローズアップ・ヴァージョンが
リアリティがあって好きなのですが....

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