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ポテチの好きな映画についてと感想

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Memories Of Matsuko 2006

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中島哲也監督作品「嫌われ松子の一生」について

53才で殺害死体として発見された伯母・川尻松子の
アパートを引き払う手続きを頼まれた笙は、
存在すら知らなかった松子の人生をたどることに。
それは、とことんまで失敗と転落を繰り返した、
波乱万丈な生き様だった。

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福岡で生まれ、病弱な妹の久美と育った少女時代を経て、
松子は中学の教師となった。
しかし、教え子の龍が起こした窃盗を庇ったことで退職、
その後は実らぬ恋愛を繰り返しながら堕落していく。

ようやく得た新たな仕事は、中州にある特殊浴場のサービス嬢。
一念発起した松子は、努力と研究を重ねて店のトップへのぼりつめる。
しかし、風俗業界の変化の波に追われて、雄琴の店へと移る。
そこで同棲していた男の浮気を知った松子は、逆上して殺害してしまう。

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逃亡して上京した松子は理髪店を営む島津と出会い、
彼の優しさに触れて同棲を始める。
ようやく得たささやかな幸福もつかの間、
殺人事件を捜査していた警察に逮捕される松子。
それから8年間の服役生活を支えたのは、
島津へのひたむきな愛だった。
刑期を終えた松子は島津の店へ向かうが、
すでに彼は別の女と家庭を築いていた。

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落胆した松子を支えるのは、
刑務所内で同じ囚人仲間だった沢村めぐみとの友情だった。
ストリッパーからAV女優となっためぐみは、
夫を得てたくましく生きていた。

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そして松子が、いまではヤクザとなった教え子の龍と再会する。
お互いにすがる相手のいない2人は激しく求めあうが、
その関係も龍の逮捕によって断ち切れた。

http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1299994080

ひとりアパートに閉じこもるようになった松子は、
アイドル(光GENJI)の追っかけだけを楽しみに生きる。
無残に肥満化した松子は、公園で不良中学生たちから撲殺されるが、
死体から離れた松子の魂は故郷へと向かって飛翔する。
そんな松子の人生は不幸だけではなかったのだろうと、
甥の笙は安堵した。

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これはスゴイ傑作でした。期待以上にかなり圧倒されました。
全編色鮮やかでポップな演出で、テンポが速くて、
スクリーンから溢れる情報量が半端じゃないのに
ちゃんと芯の通った分かりやすい悲惨な物語。
主演の中谷美紀も、語り手となる瑛太も画面の中で輝いていました。
彼女の波乱万丈すぎる壮絶な人生を
アトラクションの様に楽しんでしまった。
そんな感じです。

とにかく映像が美しく、音楽の使い方がすごく上手い。
人生ってどんな辛い事が起こってたとしても、客観的に見たら、
平坦な人生より、実はとても充実した面白い生涯なんじゃないか?
不幸が題材の映画なのに、
見終わった後は何故か爽快感を感じました。そんな素晴らしい作品です。

昭和の後半って激動の時代からちょっと安定期に入った頃で、
いい波に乗らないと、
逆に取り残される上下が極端な時代だったんじゃないかと
自分も振り返って、改めて思います。
だからこそ、そんな子供時代は
デパートの屋上で夢を見ることがまだ簡単に出来た。
でも今の子供はこういう人生はもう歩めないのかもしれない。
この作品の最後、松子を殺した犯人たちがそうだったのには、
なんだかとても意味深な印象を受けました。


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Birdy 1984

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60年代最中、泥沼のベトナム戦線から1人の若者が本国へ帰還した。
アル・コランバトーは地獄の戦火の中で顔面に重傷を負っている。
彼は一路、親友に再会すべく、
故郷フィラデルフィアに近い海軍病院へ向かう。
親友・バーディは子供の頃からの親友だ。
だが、彼は檻のような精神病棟の中で、鳥のように身をすくませていた。
前線で精神錯乱を起こした彼を、
友の呼びかけで正気に立ち戻らせられないかという、
担当医師・ワイス博士の考えだった。
アルは物言わぬ親友に必死に呼びかけた。
しかし、バーディのおびえを含んだ虚ろな瞳は、
1日中格子窓を見上げたままだった。

2人が初めて出逢った時から、
アルにとってバーディは世話の焼けるヤツだった。
バーディはひたすら鳥になりたいと考えている変な少年だった。

ある時、2人は町中の土鳩を捕まえ、
伝書バトにして売って小遣いを稼ごうとした。
だが度が過ぎて、バーディは工場の屋根から落下。
しかし、落下しながらバーディは初めて「飛ぶ」という感覚に目覚めた。
2人は何から何まで対照的な親友だった。
スポーツマンで女のコに積極的なアル。
人付き合いが下手で、自分の世界に閉じ込もりがちなバーディ。
バーディは手製の翼を作り、アルの協力で試験飛行に成功したりもした。

そんなある日、バーディはペット屋で可愛いカナリヤを買った。
以来、パータと名付けたカナリヤは、バーディの恋人になった。
鳥小屋に裸のままで入ったバーディは、パータを肩に乗せ横になる。
いつしか夢と現実の境界がバーディの感覚から消えていった。
彼は鳥になった。
鳥になって空を、自由に飛翔した。
「飛んだんだ、本当に飛んだんだ」というバーディの言葉に、
アルは理解出来ず、首を横に振るばかりだった。

やがて、アルがベトナム戦争へ出征する日がやって来た。
部屋の窓から去りゆく友を見つめるバーディ。
突然、パータが飛び出し、町中を飛翔した。
しかし、部屋に戻った時、激しく窓にぶつかり、絶命。
愛するものを一挙に失ったバーディもベトナムヘ。

地獄の戦場の中で傷ついたバーディは、ふと空を見た。
自由に飛びまわる鳥たち。
錯綜する回想の申で、友を想うアルの必死の呼びかけが続いた。
だが、バーディは部屋の隅に鳥のようにうずくまるだけだった。
そんな2人の姿を献身的に見つめる看護婦のハナ。
バーディの症状について激しくわたり合うアルとワイス博士。
やがて、精も魂も尽き果てたアルはバーディを抱きしめ、
「俺たちの負けだ」と嘆く。

ワイス博士は、治療を断念、2人を引き離そうとした。
その時、あのなつかしいバーディの声がアルの耳に飛び込んで来た。
正気に戻ったのだ。
しかし、ワイス博士は信用しない。
アルは看護人から逃れるためにバーディの手を引き、屋上に駆け上った。
バーディの頭上に、青い空が広がっている。
突然、バーディが飛び降りた。
悲鳴をあげてかけ寄り下をのぞくアル。
だが、そこには、一段低くなったもう一つの屋上に立って、
ニッコリ笑うバーディの笑顔があった。

http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1295165018

本当に鳥になりたいと思うバーディは本当に鳥になったかの様に思える。
彼の妄想は自由で確信的だ。
戦争の後遺症が2つの違った形で2人の心に投影される。
そして、その間の友情にさえ影を落とす。
だが、最後には友情がその重い過去を超えて戻ってくる。
戦争に行く前に還ったかのような無邪気な若者の屈託ない笑顔に戻った時、
この映画は優しい希望となって観る側の胸に癒しを与えてくれる。
たまたま「戦争」という伏線と批判と背景が、重要に錯覚するが、
これは友情の物語。
そして、夢を現実にした妄想家の美しい物語だ。
正直、すっとぼけた最期の場面には拍子抜けしたが、
あの無邪気な笑顔が戻った友情と正気の象徴なんだろうなと思う。
ここまでピュアでガラスのような繊細さは現実味に欠け、
戦争がなくたってバーディは精神を蝕まれてもおかしくないと思う。
しかし、それをあくまで現実主義で愛をもって
社会に戻そうとするアルもまた真摯で痛ましい。
バーディは哀しい人間なんかじゃない。
自分の中では鳥になれたのだから。
無理やり現実に戻そうとするのがはたして幸せなのかどうか。
でも、このかけ離れた2人の間には
「青春時代」というかけがえのない絆があった。
なぜ2人は親友になったのだろう。
批判しながらも自分の夢に忠実でいられるアルの
バーディに対する羨望や嫉妬と、
鳥になる夢しか見ていないバーディの強いまなざしがしたたかで揺らがない。
はたして、自分には本当になりたいものはあるのだろうか。
現実が分厚い高い壁となって立ちはだかっている。
それが潰さんばかりに迫ってきている。
この対比が、実は哀しいのはアルの側で、
アルがバーディによって救われたんだということを見せつけてくれる。
微妙に哀しい、でも希望を与えてくれたような、友情という繋がり。
淡々としているが、実はとても大切で奥の深いものだと思う。

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それにしても若かりし頃の
ニコラス・ケイジの怪演振りが堪能できる作品です。
今の彼からは想像も付かない程に、垢抜けておらず、
幼さの残る雰囲気はあるものの、役柄の破天荒な性格を
嫌味にならない程度のオーバーアクトで見事に演じ切ると同時に、
夢見がちで無茶ばかりするバーディに、
時に厳しく、時に優しく接している姿を繊細な仕草で体現して、
アルの心根の優しさを上手く表現しています。

そして、鳥に想いを寄せる青年・バーディを演じたマシュー・モディンは、
鳥の事だけを考える純真無垢な青年という役柄を、
透明感溢れる純粋で真摯な眼差しと、
子供の様に無邪気な動きや表情で好演していて、
なんだかこの2人の友情の行き交いは、もう溜め息ものです。

Lady Chatterley 2006

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パスカル・フェラン監督作品「レディ・チャタレー」について

第1次世界大戦の数年後、
イギリス中部、炭鉱地帯の村に建つラグビー邸に、
結婚4年目を迎えたクリフォード・チャタレー卿と
その夫人・コンスタンスが暮らしている。
クリフォードは新婚わずか1カ月後にドイツとの戦争に赴き、
下半身不随の身となって戻ってきた。
コンスタンスの毎日は、夫の身の回りの世話と、
時おりの上流階級同士の夜会と、
召使いたちを手伝って家事をこなすだけで、
冬の陰鬱とした空気と相俟って、
若く溌剌としていた彼女の中から少しずつ生気が失われていた。

そんなある日、姉のヒルダがラグビー邸を訪れ、
妹の負担を軽減するために住み込みの看護人を置く様、
クリフォードに要求する。
こうしてボルトン夫人が雇われ、
ラグビー邸の生活に少しだけ変化が訪れる。

ボルトン夫人は、コンスタンスを気遣い、
春の足音が近づいている森へ散歩に出かけるよう促す。
コンスタンスが森で黄水仙を摘み、泉の水を飲んでいると、
遠くから金槌の音が聞こえてくる。
小屋の前で大工仕事をしている森の猟番がいた。
かつて晩秋に訪れた時、上半身裸になって体を拭いていた男だった。
コンスタンスは小屋の椅子で休ませてもらい、
「ときどき休みに寄りたいわ」と合鍵をくれるよう男に頼むが、
「ご主人が持っている」と冷たくかわされてしまう。
ボルトン夫人が来てから2週間が過ぎると、
気難しいクリフォードも彼女に心を許し、
ヒゲ剃りを頼むまでになっていた。

ふたたびコンスタンスが森の猟番小屋へ行くと、
猟番のパーキンは雑木林の中のシジュウカラの巣を見せてくれ、
合鍵も手渡してくれる。
その日から、コンスタンスは毎日の様に小屋に出かけるようになる。

コンスタンスと、森の猟番・パーキンは一見武骨な男だが、
気高い心と孤独を抱えている点でコンスタンスと響きあい、
自然と2人の乾いた心と身体は互いを強く求め合う様になっていく。

一方、夫・クリフォードと森を散策しても、
彼の偏狭な階級意識と鼻持ちならない自尊心があらわになるだけで、
それがよりコンスタンスにとって、
パーキンとの身分差は何の障害にも感じられなくなっていくことに。

過去に女性によって深く傷つけられたパーキンは、
コンスタンスほど屈託なく、
2人だけの世界に希望を抱くことがなかなかできないが、
やがて彼女の愛の深さによって、未来の輝きを信じる様になる。
森の中の木々の緑や草花や小動物たちが、
2人にすべての鎧を脱ぎ捨てさせ、
裸のままの男と女が人間同士として深く結びついていく。

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1995年公開の「チャタレイ夫人の恋人/Lady Chatterley's Lover」を観て
私が思い描いていた内容より、
あまりにも綺麗過ぎて愕然とした記憶がありましたが、
このパスカル・フェラン監督の作品は私の理想通り。
素晴らしい自然の中で繰り広げられる純真な愛の物語。

ちょっと疲れて毎日が退屈っていう雰囲気から、
本当の性愛を知って女として輝いていく様を
見事に体現したチャタレー夫人扮するマリナ・ハンズ。
そして、ガッチリ体型で中年ながらの魅力満載かつ、
大きな孤独感を知っていることで、
他人に対して優しさや気づかいができる心の広い感じが
もの凄く伝わってくる森の猟番扮するジャン=ルイ・クロック。
この2人が出会って少しずつ変化して幸福になる様は、
観ている私まで「良かったね!」と
心からエールを送りたくなるくらい感動しました。

物語の時代感を再現しているので、
セックス・シーンは稚拙に感じてしまうのですが、
当時はこの内容で裁判が起こるほどショッキングだったということで、
いかに今、「セックス観」といいますか、
複雑に激しく進化してきたんだなと思ったのでした。

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