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ポテチの好きな映画についてと感想

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Birdy 1984

http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1295164966

60年代最中、泥沼のベトナム戦線から1人の若者が本国へ帰還した。
アル・コランバトーは地獄の戦火の中で顔面に重傷を負っている。
彼は一路、親友に再会すべく、
故郷フィラデルフィアに近い海軍病院へ向かう。
親友・バーディは子供の頃からの親友だ。
だが、彼は檻のような精神病棟の中で、鳥のように身をすくませていた。
前線で精神錯乱を起こした彼を、
友の呼びかけで正気に立ち戻らせられないかという、
担当医師・ワイス博士の考えだった。
アルは物言わぬ親友に必死に呼びかけた。
しかし、バーディのおびえを含んだ虚ろな瞳は、
1日中格子窓を見上げたままだった。

2人が初めて出逢った時から、
アルにとってバーディは世話の焼けるヤツだった。
バーディはひたすら鳥になりたいと考えている変な少年だった。

ある時、2人は町中の土鳩を捕まえ、
伝書バトにして売って小遣いを稼ごうとした。
だが度が過ぎて、バーディは工場の屋根から落下。
しかし、落下しながらバーディは初めて「飛ぶ」という感覚に目覚めた。
2人は何から何まで対照的な親友だった。
スポーツマンで女のコに積極的なアル。
人付き合いが下手で、自分の世界に閉じ込もりがちなバーディ。
バーディは手製の翼を作り、アルの協力で試験飛行に成功したりもした。

そんなある日、バーディはペット屋で可愛いカナリヤを買った。
以来、パータと名付けたカナリヤは、バーディの恋人になった。
鳥小屋に裸のままで入ったバーディは、パータを肩に乗せ横になる。
いつしか夢と現実の境界がバーディの感覚から消えていった。
彼は鳥になった。
鳥になって空を、自由に飛翔した。
「飛んだんだ、本当に飛んだんだ」というバーディの言葉に、
アルは理解出来ず、首を横に振るばかりだった。

やがて、アルがベトナム戦争へ出征する日がやって来た。
部屋の窓から去りゆく友を見つめるバーディ。
突然、パータが飛び出し、町中を飛翔した。
しかし、部屋に戻った時、激しく窓にぶつかり、絶命。
愛するものを一挙に失ったバーディもベトナムヘ。

地獄の戦場の中で傷ついたバーディは、ふと空を見た。
自由に飛びまわる鳥たち。
錯綜する回想の申で、友を想うアルの必死の呼びかけが続いた。
だが、バーディは部屋の隅に鳥のようにうずくまるだけだった。
そんな2人の姿を献身的に見つめる看護婦のハナ。
バーディの症状について激しくわたり合うアルとワイス博士。
やがて、精も魂も尽き果てたアルはバーディを抱きしめ、
「俺たちの負けだ」と嘆く。

ワイス博士は、治療を断念、2人を引き離そうとした。
その時、あのなつかしいバーディの声がアルの耳に飛び込んで来た。
正気に戻ったのだ。
しかし、ワイス博士は信用しない。
アルは看護人から逃れるためにバーディの手を引き、屋上に駆け上った。
バーディの頭上に、青い空が広がっている。
突然、バーディが飛び降りた。
悲鳴をあげてかけ寄り下をのぞくアル。
だが、そこには、一段低くなったもう一つの屋上に立って、
ニッコリ笑うバーディの笑顔があった。

http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1295165018

本当に鳥になりたいと思うバーディは本当に鳥になったかの様に思える。
彼の妄想は自由で確信的だ。
戦争の後遺症が2つの違った形で2人の心に投影される。
そして、その間の友情にさえ影を落とす。
だが、最後には友情がその重い過去を超えて戻ってくる。
戦争に行く前に還ったかのような無邪気な若者の屈託ない笑顔に戻った時、
この映画は優しい希望となって観る側の胸に癒しを与えてくれる。
たまたま「戦争」という伏線と批判と背景が、重要に錯覚するが、
これは友情の物語。
そして、夢を現実にした妄想家の美しい物語だ。
正直、すっとぼけた最期の場面には拍子抜けしたが、
あの無邪気な笑顔が戻った友情と正気の象徴なんだろうなと思う。
ここまでピュアでガラスのような繊細さは現実味に欠け、
戦争がなくたってバーディは精神を蝕まれてもおかしくないと思う。
しかし、それをあくまで現実主義で愛をもって
社会に戻そうとするアルもまた真摯で痛ましい。
バーディは哀しい人間なんかじゃない。
自分の中では鳥になれたのだから。
無理やり現実に戻そうとするのがはたして幸せなのかどうか。
でも、このかけ離れた2人の間には
「青春時代」というかけがえのない絆があった。
なぜ2人は親友になったのだろう。
批判しながらも自分の夢に忠実でいられるアルの
バーディに対する羨望や嫉妬と、
鳥になる夢しか見ていないバーディの強いまなざしがしたたかで揺らがない。
はたして、自分には本当になりたいものはあるのだろうか。
現実が分厚い高い壁となって立ちはだかっている。
それが潰さんばかりに迫ってきている。
この対比が、実は哀しいのはアルの側で、
アルがバーディによって救われたんだということを見せつけてくれる。
微妙に哀しい、でも希望を与えてくれたような、友情という繋がり。
淡々としているが、実はとても大切で奥の深いものだと思う。

http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1295165061

それにしても若かりし頃の
ニコラス・ケイジの怪演振りが堪能できる作品です。
今の彼からは想像も付かない程に、垢抜けておらず、
幼さの残る雰囲気はあるものの、役柄の破天荒な性格を
嫌味にならない程度のオーバーアクトで見事に演じ切ると同時に、
夢見がちで無茶ばかりするバーディに、
時に厳しく、時に優しく接している姿を繊細な仕草で体現して、
アルの心根の優しさを上手く表現しています。

そして、鳥に想いを寄せる青年・バーディを演じたマシュー・モディンは、
鳥の事だけを考える純真無垢な青年という役柄を、
透明感溢れる純粋で真摯な眼差しと、
子供の様に無邪気な動きや表情で好演していて、
なんだかこの2人の友情の行き交いは、もう溜め息ものです。

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