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ポテチの好きな映画についてと感想

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The Hours 2002

http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1281325626

スティーヴン・ダルドリー監督作品「めぐりあう時間たち」について

1923年、ロンドン郊外。
精神を病み療養中の女流作家ヴァージニア・ウルフは
夫・レナードの優しい愛を受けながら、
後に傑作とされる小説「ダロウェイ夫人」を書き始める。

1951年、ロサンゼルスでは妊婦のローラが夫の誕生日を祝うため、
息子・リチャードとともにケーキを焼く。

そして2001年、ニューヨークでは、
編集者のクラリッサがエイズに冒された詩人、
彼女の友人である作家・リチャードの賞受賞を祝い、
祝賀パーティを催そうとしていた。
3つの時代の、3人の女たちの、それぞれの1日が始まろうとしていた....

クラリッサに悲劇が訪れて、その悲しみが、
ヴァージニアに「ダロウェイ夫人」を執筆させて、
それによってヴァージニアは、
死んだような日々を送っていた愛読者のローラをコントロールし、
時を超えて、生き甲斐を見失ったクラリッサに
「いかに自分が人生を生き抜いてきたのか」を語りにわざわざ現れて癒し、
幸福へと向かわすことにより、
「ダロウェイ夫人」執筆にインスピレーションを与える。
そんな3人の繋がり。

http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1281325705

この「自立 = 幸福」と「依存 = 不幸」についての解釈が
とても私的には受け入れ固く、最後、
ヴァージニアは、夫の「依存」から逃れて
完全な「自立」をするべく自殺に幸福を見いだし、
ローラは夫に「依存」しきっていた自分に爆発、
夫と子供を捨てて「自立」、
そしてクラリッサは「依存」していた夫に自殺されて、
路頭に迷うも結果「自立」。
と、なにかと幸福感追求とはいえ、
自己肯定に固執し過ぎじゃないか?と思うのですが、
反面、女性の立場になったとして考えると、
凄い納得して感動する私も居たりして
割と男と女、人それぞれの幸福感って、
思ってた以上に振れ幅が違うものなんだなと
考えさせられるのでした。

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Monster 2003

http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1280758851

アイリーンは8歳の時以来、父親の親友にレイプされ続ける。
父親に言ったがとりあってもらえない。
父親は彼女が13歳の時自殺。
同時に彼女は、「薄汚い娼婦は出て行け!」と家から追い出され、
生きるために娼婦として街に立って生活するアイリーン。
「私はダイヤの原石だ。いつかはスターになる夢が適う」
そんなことを長い間心から信じていた彼女だったが、
30歳を過ぎたある日、現実に目覚めるアイリーン。
「男には愛想がつきた。だからもう死ぬだけ」

自殺を考えていたある夜、バーでレズビアンのセルビーと出会う。
アイリーンの荒んだ様子にも関わらず、セルビーは彼女のことが好きになり、
やがて彼女たちは愛し合うようになる。

2人の生活のためにアイリーンは合法的な収入源を得ようとするが、
彼女の気性のせいもあって、職業訓練を受けておらず、
世間的な常識もない彼女が職に就くのは難しいことだった。
金銭的に窮し、社会に受け入れられないことに絶望した彼女は
売春に戻ることにするが、相手の性的虐待で殺されそうになり、
正当防衛で反撃してその男を殺してしまう。
「人生は不思議だ。思ってもいない方向に進んでいく」

その後、彼女はセルビーとの
「車や家のある普通の生活」を作る手段として、次々と男を強殺する。
やがてアイリーンは逮捕されるが、殺人の証拠がない。
勾留されている監獄にセルビーから電話がかかってくる。
それが彼女の自白を引き出すための
囮の電話であることにうすうす気付きつつも、
セルビーの犯罪行為まで否定する会話に応じるアイリーン。
全ては自分にかけがえのないセルビーへの愛のため。

セルビーは法廷でアイリーンの犯行を証言する。
愛と財産と聖書のある普通の家庭に育ったセルビーに対して、
「あなたにとって人間は善良で親切な存在なのね」
「あなたを永遠に忘れない」

http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1280758903

「彼女のためなら何でもする」
その決意は、次第にアイリーンを最悪な方向に追い詰めていく。
その危うい健気さがもう、
いたたっ!みてる私までが胃を痛めるくらいの頼りなさで
いつの間にか、主人公に感情移入。
私も危うく、仕方の無いことだよなと、
彼女の罪を正当化してしまうところでした。

アイリーン、社会に対して最後の言葉。
「愛は全てに勝つ 絶望の果てにも光明が
 信仰は山をも動かす 愛に困難はない
 全ての出来事に道理が 命ある限り、希望の光が
 .....勝手にほざけよ」

シャリーズ・セロンとクリスティーナ・リッチ。
とにかく、彼女たちの凄まじい演技と音楽の演出の素晴らしさに拍手。

Midnight Cowboy 1969

http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1279442420

ジョン・シュレシンジャー監督作品「真夜中のカーボーイ」について

マッチョな肉体の魅力で富と名声を手に入れようと、
テキサスからニューヨークに出てきた青年・ジョー。
カウボーイスタイルに身を固めた彼は、
来て早々ある女を引っ掛けて金を要求するが、
実はこの女、名うての娼婦で、上手ーく丸め込められ、
逆に金をふんだくられる。

ジョーはスラム街に住むラッツォという片足の悪い小男に出会い、
売春の斡旋人を世話してくれるという約束で10ドルを手渡すが、
かなり逝っちゃってた斡旋人の親父は男色を専門としていた。
騙されたと知ったジョーは、ラッツォを捕まえて問い詰めるのだが、
既にラッツォの手には金がない。
その代わり、罪滅ぼしにラッツォは、カモ探しに協力することに。
2人はラッツォのねぐらである廃墟のビルで共同生活を始める。
そこで彼らの間に奇妙な友情が芽生えていった。

しかし、冬のニューヨークで暖房もない貧苦の生活。
ラッツォの体は病魔に冒され、弱っていった。
ある時、アンディウォーホルのパーティーを切っ掛けに、
ジョーのジゴロ稼業がうまくいきそうになるが、
ラッツォの病状が一気に悪化。
ジョーはゲイの紳士から金を強奪し、ラッツォを連れて、
彼の憧れの地「フロリダ」行きのバスに乗る。

マイアミを間近にしたバスの中で、ジョーは決意する。
「一攫千金を狙ったりしないで地道に二人で暮らしていこう」
汚れた衣服とカウボーイの装束一式をトラウマとともにゴミ箱にぶち込み、
2人ともフロリダの明るい服装に着替え、
さあ、新天地に到着!....のつかの間、
ラッツォは帰らぬ人となっているのでした。

http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1279442470

都会の生活は、お金や社会的地位があればとても豊かで楽しい。
しかしそれは夢物語、何も無い者はそうそう上手くいくはずも無く、
孤独感と寂寥感と退廃と絶望の闇に囚われてしまう。
もともと人間なんて小さい。
それを認めたくないけど、それが現実。
やっと分かったから「ここではない何処か」へ行きたかった二人。
この友情によってもたらされた絆にはとてつもない逞しさがある。
残念なことにラッツォは行くことが出来なかったけれど、
ジョーはその分、彼のためにも、より幸せに近づけるのではないか。
悲しいラストシーンですが、何故か爽快感漂う希望を感じるのです。

ラッツォ役のダスティン・ホフマンとジョー役のジョン・ヴォイト、
2人の名演あっての映画だと思います。
忘れてならないのが、ニルソンが歌う主題歌「うわさの男」。
哀愁の中から溢れ出た爽快感、....ああ、ため息が出てしまう。
実に良い映画です。

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