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ポテチの好きな映画についてと感想

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Smoke 1995

http://file.satyricon.ni-moe.com/smoke1.jpg

ウェイン・ワン監督作品「スモーク」について

オーギー・レンは、ブルックリンの街角で煙草屋を営み、
毎日欠かさず店の前の街を写真に撮ることを趣味にしていた。
その店の常連で作家のポール・ベンジャミンは、
数年前に妻を強盗の流れ弾で失って以来、仕事が手につかない。

ある日、ぼんやりとして車にはねられそうになったポールは、
ラシードと名乗る少年に助けられ、彼は感謝の印に家に泊めてやる。
少年は数日後に出ていくが、その数日後にその叔母が来た。
彼の本名はトーマスで、行方不明で心配しているという。
そのトーマスは子供の頃生き別れになった父・サイラスの
ガソリン・スタンドに行き、本名を隠して掃除のバイトをする。
ポールを再訪したトーマスは、実は強盗現場で落ちていた
六千ドルを拾ったのでギャングに追われていると明かす。
ポールはトーマスを家に置き、オーギーに頼んで店で使ってもらう。
トーマスはオーギー秘蔵の密輸キューバ葉巻を台無しにしてしまうが、
例の六千ドルで弁償するというのでオーギーも許す。
オーギーの所には昔の恋人・ルビーが来ていた。
実は2人には娘がいて、18歳で麻薬に溺れていた。
オーギーは娘を麻薬更生施設に入れる資金にしろと、
例の弁償の金をそっくりルビーに渡した。
ある晩、トーマスに盗んだ金を持ち逃げされたギャングがポールの家を襲う。
外から様子を察したトーマスは姿を消す。
負傷したポールとオーギーは息子同然のトーマスの安否を気づかうが、
彼は電話で無事を告げてきた。
2人はサイラスの所でバイト中のトーマスを訪問し、
彼に親子の名乗りをさせる。

晩秋、ポールにニューヨーク・タイムズ紙が
クリスマス向けの短編を依頼してきた。
ネタがないと困るポールに、
オーギーは自分の14年前のクリスマスの体験を語って聞かせる。
帰宅したポールは
『オーギー・レーンのクリスマス・ストーリー』の原稿に取りかかる。

http://file.satyricon.ni-moe.com/smoke2.jpg

ニューヨーク、ブルックリンでの物語です。
他人事に興味津々は日常茶飯事、
だけど関わりはなるべくしない都会に住む人の感覚。
そんな感情移入まではしない上でみつめた、
いろいろな人のプライベート小話。
強いテーマはないけど、
人との関わりって割といいなって思える箇所がいくつもあって、
人間関係に疲れた時とかに観ると、
冷静に上向き方向で考えることができる。
ああ、これは私が間違ってたからか。とか気づかせてくれる余裕を作ってくれる。
私にとってかなり貴重な「癒される」映画です。

http://file.satyricon.ni-moe.com/smoke3.jpg

特に自分の店の街角の写真を撮り続けるのと、
そして最後にオーギーがポールに話すクリスマスの話から
その写しているカメラの経緯エピソード。

煙草屋の店番中にオーギーは万引きして逃げたロジャーという少年を追いかけ、
掴まえ損ねたものの、少年が落とした財布をみつけます。
その中には彼の家族の写真が。

オーギーは届けに、彼の家を訪れます。
そこには高齢で盲目の老婆しかいません。
クリスマスの日に一人で過ごすのは寂しいために、
老婆はオーギーを自分の孫と勘違いしている「ふり」をして接し、
オーギーもその「暗黙のゲーム」に付き合います。
そして老婆が酔って寝ている間に、
オーギーはトイレに隠してあった盗品と思われる新品のカメラを盗んで帰宅、
後に毎日このカメラで写真をとっている、そんなお話。

このお話には嘘があります。
オーギーは老婆がドアを開ける時に、15個の鍵を開けたと言っていますが、
オーギーの話の白黒再現場面でも見られるように、鍵は3個しかありませんし、
実際、盲目の老婆が15個の鍵を開けることは無理でしょう。
この話を聞いていたポールはもちろん、この部分の嘘に気が付きます。
問題は何故このような判りやすい嘘を付いたかを、
オーギーに対してポールは
「君は嘘のつき方がうまい。
 勘どころを心得てて面白い話に仕立てる。すばらしい話だ」
と言ったのかです。

実はこのオーギーと老婆の「暗黙のゲーム」は、
そのままオーギーとポールの「暗黙のゲーム」につながっています。
この場面の前にポールはオーギーの店で煙草を買いますが、
いつも2缶買うのに、
その時は「自分の健康を心配してくれるひとがいるから」と言って
1缶しか買いませんでした。
しかしポールにそんな人はいないことは、
オーギーの部屋で亡き妻エレンの写真をみた時に
号泣していたことでオーギーは察していたわけです。
そしてオーギーは自分の話も(おそらく全てが)嘘であると
ポールに気付かせることで、話を一方通行的な「情報」にするのではなく、
心が通い合い共有できる「暗黙のゲーム」にしたのです。

「秘密を分かち合えない友達なんて、友達といえるか?」
「確かに。それが生きてることの価値だ」
最後の2人して美味そうに煙草を吸いながらの微笑み合うのが
とても印象的です。
そしてこのことはこの映画のメインテーマにもなっています。
とにかくハーヴェイ・カイテルとウィリアム・ハートの存在感が素晴らしい!

ただ、登場する女性たちの影が薄いというか、
みんな可哀相に感じてしまって、
誰かしら、幸せになるところを見届けれる場面があったらなと、同時に
ゲイとかそういうセクシャルな意味ではなくて、人間味という観点で
この監督はあまり「女性」に対して興味がないのかなと、
ちょっと残念に思えました。
でも冷ややかな目線なのに温かくもなせる、
なんだか村上春樹の小説みたいなギリギリラインの感覚、
やっぱり好きなんだよな〜

ちなみに、
この監督の次の作品「赤い部屋の恋人(The Center of the World 2001)」は
女性の影の薄さが、より浮き彫りにされている感じの内容で....
公開当日、ルンルン気分で観に行って撃沈した記憶が今、甦りました。



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