2010/08/12 Category : 日本映画 Megane 2007 荻上直子監督作品「めがね」について 人生の一瞬に立ち止まり、たそがれたい。 何をするでもなく、どこへ行くでもない。 南の海辺に、ひとりプロペラ機から下り立ったタエコ。 その小さな島は不思議なことだらけ。 見たこともない不思議な『メルシー体操』なるものを踊る人々、 いつもぶらぶらしている高校教師・ハルナ、 笑顔で皆にカキ氷をふるまうサクラ、 飄々と日々の仕事をこなすハマダの主人・ユージ。 マイペースで奇妙な人々に振り回され、一度はハマダを出ようとするが、 自分なりに「たそがれる」術を身につけていくタエコ。 そして、タエコを追ってきたヨモギを含めた5人の間には 奇妙な連帯感が生まれていく。 しかし、その時間は永遠には続かない。 人とは? 旅とは? 生きるとは? 登場人物たちとゆるやかな時間を共有する内に、 心はいつしか大きなものへと向かいます。 そんな命題をこの物語は軽々と飛び越えたところで成り立っています。 南国ならではの透明感あふれる日差しのもと繰り広げられる、 生命力を呼び覚ますおいしい食事。心地よい暮らしの風景。凛と胸に響く音楽。 そしてそれらを共にする、同志のような仲間の存在。 五感のすみずみに届く、ひろびろと手足を伸ばして生きる歓びを、 ただ素直に受け止めればいい。 「たそがれる」 それこそが旅の醍醐味なのですから。 思えば、人生はしばしば旅にたとえられます。 その途上での旅とはつまり、 一生という大きな物語の中で繰り広げられる劇中劇のようなもの。 決して永遠ではないその瞬間を、どこで過ごすか。 誰と過ごすか。 その果てに、何を知るか。 ともあれ、行く先が見えなくなったら、 なんとなく世界とピントが合わなくなったと感じたら、 それがあなたのたそがれ時。 まっすぐに歩いていけば、いつか必ずたどり着く。 あなたもきっと経験する旅、その理想形が、この映画を通して 見えてくるかもしれません。 主人公である旅人・タエコに扮するのは小林聡美。 「かもめ食堂」で見せた清潔なたたずまいをそのままに、 人生の一瞬にふと立ち止まる等身大の女性をきめ細やかに造形します。 彼女を迎える宿の主人・ユージには、光石研。 その宿にたびたび出没する若い女・ハルナに、市川実日子。 また、タエコを追ってやってくる青年・ヨモギは、加瀬亮。 そして、宿の人々からそこはかとない信頼を寄せられる 島の先客・サクラに扮したもたいまさこが、不敵かつ 大らかな存在感で物語を包み込みます。 どこへ行くでもなく、何をするでもなく、ただ「たそがれる」。 日常の鎖から解き放たれて取り戻す「自由」というものを体現した 彼らの姿からは、人が本来魂に宿している原始の豊かさが漂い、 いつしか観ている私をも包み込んで、リラックスしている。 とても魂に良い映画です。 PR
2010/08/07 Category : 日本映画 BU・SU 1987 市川準の初監督作品「BU・SU」について 主人公演じた富田靖子、そして高嶋政宏がとても青春を素敵に体現してて 凄く印象に残っている好きな映画です。 片田舎の小さな町で、複雑な家庭の下に育った主人公の麦子さん。 父親と死別し、母と二人暮しをする彼女は、他人に心を許す事をせず、 いつも暗く孤独にうつむいていた。 将来を心配した母は、その性格をなおすため、 東京・神楽坂で芸者の置屋を営む叔母のもとに預けられて、 芸者の修行をしながら、学校に通う生活を始めさせられる。 精神的成長を期待されていたのだが、 結局、頑なに心を閉ざしたままで 学校でもいじめの対象になってしまう。 そんなある日、芸者の卵という素性を知った同級生たちの企みで、 彼女はクラスの代表として、学園祭の出し物を任されてしまう。 「せっかくなら成功させたい」 それをきっかけに少しずつ心を開き、数少ない理解者に支えられて、 舞台に立つことを決意する。 選んだ演目は、かつて若き日の彼女の母が得意としていた 人形振りの『八百屋お七』。 師匠でもある叔母の厳しい稽古に耐え、 ついにその日、緊張とざわめきの中、静かに幕は上がり、 彼女は素晴らしく演じて舞うのだが.... 幼い時、「知らない」ということで、 時より凄まじくえげつないことをやってのけてしまう。 今私もそんな学生の頃、 残酷なことをしたし、逆に傷つけられきたわけですが、 この物語の主人公のように、 そんな混沌から周りより先にそこから逸脱した姿は、 醜い白鳥の結末さながら、とてもキラキラしていて、 たとえ失敗でも一生懸命やり通した成果が成長を早めたというか、 ラストの美しい笑顔を尻目に、 ああ、大人になるっていいなと素直に感じたの思い出します。 私ももっと大人にならなければ....
2010/07/30 Category : 日本映画 Gohatto/Taboo 1999 大島渚監督作品「御法度」について 1865年、京都。 新選組は新たに隊士を募集した。 多くの志願者が集まる中、一際異彩を放つ美少年がいた。 加納惣三郎と名乗るその青年は、新選組きっての剣豪・沖田総司をも 手こずらせる程の剣の腕の持ち主だった。 そして、もう1人、加納と双璧をなす程の剣の腕の持ち主・田代彪蔵の2人が、 その剣の腕を認められ、入隊を許可された。 しかし、この2人の入隊によって 新選組内部の空気は少しずつ変わっていくことになる。 田代は衆道(男色)の気を持つ男であり、 惣三郎を衆道に引きずり込もうとしていた。 隊士の中にも、美男である惣三郎に言い寄る者が現れるなど、 隊内の秩序を重んじる土方を悩ませる噂が流れた。 そんな中、惣三郎に密かに想いを寄せていた隊士・湯沢藤次郎が 何者かによって惨殺される。 土方は湯沢の恋敵であった人間が斬ったのではないかと疑い始める.... 「死」にこだわるのは誰しも若かりし頃に一度は経験するものと思いますが、 現代でありがちな若者像になんとなくシンクロするように設定された この主人公の加納惣三郎さんはレベルが違う。 いまいち生きている実感が湧かない、今日この頃な日々の連続。 そんな退屈から一転、「新撰組」という組織で偶然見つけた刺激剤、それは.... 殺す、もしくは死に追いやる。 その時代の「衆道」の文化が割と主人公を中心にクローズアップされてますが、 彼にとって男と寝るのはあくまで手段。 生まれもっての魔性を餌に、魅了された者たちを次々と巻き込んでは道具とし、 より満たす故の犠牲とさせ、終にはそのものの塊になってしまう。 彼の思惑は単純。 話を複雑にしているのは、巻き込まれた男たちの妙な愛情だろう。 最後の立ち合い中、 「もろともに....」の一言で斬られた同期でメロメロな田代彪蔵さん。 「雨月物語〜菊花の約」を引き合いにして、 頻りに同性愛疑惑を打ち消そうとする沖田総司さん。 最後に自己去勢するかのように満開の桜の木を叩き切る土方歳三さん。 その他大勢。 この物語の男たちは主人公以外、真面目すぎて恋愛に不器用で 実に可愛いなと思ってしまうのですが、 昔の武士たる者ってこんな感じだったのでしょうか? 個人的には、話が面白いので「愛のコリーダ」の様な 大島監督特有の演出で、配役はもっと緊張感ありの重みのある ゴツくて可愛い部類の俳優で構成していただけたら 随分と良い意味で、凄い好きな映画となってたと思うのですが〜 あとこの映画音楽、 坂本龍一氏のメインテーマが、もう闇に吸い込まれていきそうで、 素晴らし過ぎて鳥肌が立ちました....