2010/07/22 Category : ハ行 Bent 1997 ショーン・マサイアス監督作品「ベント 〜墜ちた饗宴」について ナチス時代のベルリン。 自堕落で勝手気ままなゲイライフを送っていたマックス。 ある金髪の美青年将校と出会い、甘い一晩を過ごすが、 彼はヒットラーによって粛清されたレーム一派(同性愛者)の関係者で、 翌朝、ゲシュタポによって粛清される。 マックスと恋人のルディは命からがら逃げ出すが、 世の中は同性愛迫害の波が押し寄せており、 逃亡生活を続けていたものの、結局捕らえられてしまう。 収容所への移動中にルディは殺される。 そこで出会ったホルストに「とにかく生き延びろ」と諭されるマックス。 ゲシュタポとの取引にも応じ、 「同性愛者でなければ女とできるだろう」と 少女の遺体と関係を持つことにより、 最下層の同性愛者(三角のピンク印)ではなく、 ユダヤ人(黄色いダビデの星)として収容されることになった。 収容所での仕事は、永延と岩を運び続けるという単純作業。 そこにホルストも呼び寄せ、 2人で単純作業を続けるうちに愛し合うようになるが、 触れることも見つめあうこともできない。 季節は夏から冬、そして春と移り、ホルストの体調が次第に悪くなる。 彼のために薬を調達しようと、 新任の大佐に近づき、セクシャルな関係でもって便宜を図ってもらうが、 それが徒となりホルストは処刑されてしまう。 マックスは悲しみの中、彼が着ていた三角ピンク印のついた服に着替え、 自ら、高圧電流の流れる鉄条網にすがりつくのだった。 この作品は、ナチスドイツの「同性愛者への迫害」という、 歴史に埋もれてしまった極めて特異なテーマを扱っている。 時代は、ナチス政権下のドイツ。 その時代のドイツでナチスは ユダヤ人を大量虐殺した事実はよく知られている。 しかし、その過酷な時代にもっと過酷な運命を生きた人間たちがいる。 ユダヤ人がダビデの星、 つまり黄色い星を胸につけることを強要されていた時代に、 胸にピンクの星をつけることを強要された人々がいた。 そしてこれこそが最悪だった。 黄色い星の人々より酷い扱いを受ける人々、 まさに歴史の知られざる事実。 その時代、ピンクの星を胸につけた人々、 つまり強制収容所で虐殺された同性愛者は 25万〜30万人にもおよんだという。 そんな背景の中での純粋な愛のドラマである。 前半はきらびやかなベルリンが描かれ、 退廃的な雰囲気の中で繰り広げられるゲイクラブに 全裸の男たちが入り乱れての酒池肉林の世界。 ここの女装主人・グレダに扮したミック・ジャガーが 天井から吊るされたブランコに乗りながらなめかわしく歌っています。 一転して後半は白い採石場でひたすら岩を運び続ける マックスとホルストのセリフ劇。 一瞬のすれ違いごとに愛の言葉をかけあうことで、 しだいに愛し合う2人。 しかし監視されているため、触れることもできず、 ましては見つめ合えない状況の中。 3分間の休憩中、2人並んで前を向いて突っ立ったままで、 「俺の口が下がっていって...」とか、 「お前の中に俺のが入るぞ」とか言うわけです。 この過酷な環境がよりお互いの甘い妄想を膨らませていったのでしょうか。 ホルストがみせた際立った表情がとても印象的でした。 しかし、なんともやるせない最期の2人の顛末。 ひたすら岩運び場面の連続でしたから、より一層衝撃的で、悲しい。 いつかはきっと...が台無しになった瞬間、私も彼同様に、 愛した者になるべく近づけて後、見切りをつけるでしょう。 出演はクライヴ・オーエン、ブライアン・ウェバー、イアン・マッケランなど 私が好きな俳優の名前が並びます。 この作品のDVD化を望んでいるのですが、ダメなのかな〜 PR
2010/07/28 Category : リュック・ベッソン The Dancer 2000 リュック・ベッソン製作/脚本による「ダンサー」について ニューヨークでダメ男の兄と暮らし、 土曜の夜はクラブでDJたちの挑戦を受けて踊るインディア。 彼女は並外れたダンスの才能を持つが、口をきくことができない。 ところがブロードウェイ出演をかけたオーディションで、 彼女はそのハンディだけを理由に落とされてしまう。 すっかり落ち込んでいた時、才能ある若き科学者・アイザックに出会う。 彼はインディアのために、 「動きを音に変える装置」を開発すると申し出るが... 五体満足に動けたり、見たり、聞いたり、話せたりと、 当たり前にできるのを前提にしていて、 それがとても幸せなのだということを 気付き忘れてしまっている今日この頃。 人に伝えたいのに伝わらないもどかしさは、かすかでさえも辛いのに 皆無となると、そのままならきっと私なら気が狂ってしまうだろうから、 絵を描いたり、文を書いたり、手話とか、 その時はもう必死になると思います。 この物語の主人公は会話ができない代わりの手段として、 ダンスをします。 前向きなんていう余裕がなくて、ただただひた走る姿はもう感動の一言で、 とくに最後の場面のダンスシーン、 温かく見守ってきた人も、そうでもない人も、 みんながみんな、彼女のダンスの会話を通じてひとつに合わさった瞬間、 なんだか、凄まじいエネルギーが 一気に解き放たれていく様が素晴らしかったです。 何かしらのアクションごとに魂が込められることを 知ってて意識しなかった日々でしたが、 それではいかんなと、大いに反省させられたのでありました。
2010/07/22 Category : ウォシャウスキー兄弟 Bound 1996 ウォシャウスキー兄弟による監督作品「バウンド」について レズビアン絡みのシーンがある映画はこれまであったとしても、 男の欲情をかき立てるのを貢献するようなものだけで、 結局、男の世界の中での「それ」だけであった。 この映画の2人のヒロインが交わす愛の駆け引きは、もの凄く生々しく、 そして、美しい。 腕のいい盗みの元プロ・コーキーはアパートの内装と配管工事を任されてた。 隣の部屋には、ある筋のマネーロンダリング担当の男の情婦 ヴァイオレットが住んでいた。 ある日、妖艶なヴァイオレットは 中性的なコーキーにひと目惚れして誘いをかけ、 2人はその夜、激しく求め、愛し合う。 それからいろいろあって、マフィアの裏金を奪う計画に発展するわけですが、 目が話せない展開とついて廻る格好好さっていったら、もう素敵過ぎです。 台詞の言い回しとか、仕草とか、着こなしとか、 やっぱりギャングものはこうでなきゃ! スタイリッシュで、品ある人間臭さを持ち合わし、そして極悪。 ずっとドス黒の闇の中なのに、時折みせる霧がかった煌めきみたいなもの。 世間の「ちょい悪」なんて俗語は最悪。その内に廃れそうですが、 今だ何がいいんだか、もうさっぱり。 やはり極悪でしょう。 犯罪はともかく、 あくまで、この映画の雰囲気からしてですが、好きなんです。