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ポテチの好きな映画についてと感想

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The Color Purple 1985

https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1279437667

スティーヴン・スピルバーグ監督作品「カラーパープル」について

アリス・ウォーカーのピューリッツァー賞を受賞した1982年の小説の映画化。
物語は1909年、南部ジョージアの小さな町のはずれに住む黒人の一家にて。
自分もまだ子供にすぎないセリーが、父親の子供を生んだ。
父親は生まれた子供をセリーの乳房からもぎとって
どこかに連れていってしまった。
セリーの心の支えは美しくて頭の良い妹のネッティだけ。

やがてセリーは人身売買のように4人の子持ちのミスターという男に嫁いだ。
最初、彼はネッティを望んだが、ネッティを手放したくないと父親に断られ、
代わりに「子供が産めない身だからいくらでも楽しめる」と、
セリーが押し付けられたからであった。

朝から掃除、洗濯、料理、問題の多い子供たちの世話をして、
夜は性処理道具のようにミスターにのしかかられる日々。
やがて父親とミスターの淫らな手が、
ネッティへと向けられたことを知ったセリー。
ネッティを家から逃げるように説得、
その後、牧師夫妻に助けられてアフリカヘ渡った。

ある日、ミスターは美しい歌手のシャグを家に連れて来た。
セリーがシャグの面倒をみているうちに、2人の間に奇妙な友情が芽生える。
セリーの忍従の人生に驚くシャグと、夫の愛人ではあるが美しい心と
自立の精神を持つ彼女に、目を開かせられたセリー。
セリーの魂は目覚め、自分も人間であること、
真っ暗だった未来に道が開けているかもしれないことに気づくのだった。

一方、ミスターの長男、ハーボの妻ソフィアは気が強く負けん気が
災いして離婚するハメになる。しかも彼女は、
白人市長夫人に反抗的な態度をとったことから長い刑に処されてしまった。
ハーポはソフィアと別れた後、愛人のスクィークを自分の酒場で働かせていた。

ある復活祭の日、別の男と結婚したシャグによって
ミスターが長年に渡り隠していたネッティからの多くの手紙を発見する。
ネッティは元気でアフリカで伝導生活を送っていたのだ。
自立の魂が最高潮に激しく燃えあがったのは、いうまでもない。
セリーは、ついにミスターに家を出る決心を伝えた。
驚くミスターはセリーをなじるが、シャグはセリーの味方についた。
そして長い刑で弱気になっていたソフィアも、セリーの反逆を見て、
かつての元気がよみがえった。
セリー、シャグ、そして歌手を目指そうとするスクィークが新しい人生を求めて
メンフィスに旅立った。

数年後の新しい生活も落ち着いた頃、
シャグは長年に渡り勘当されいた牧師の父とよりが戻り、
ずっと抱えてきた悲しみにくれていた魂が救われる。
そしてセリーにも、
生き別れた2人の子供とともに愛するネッティがアフリカから帰国、
そして再び目の前に姿を現すのでした。

https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1279437716

黒人は白人から完全に社会的にも生活的にも屈辱的な差別を強いられたその上、
黒人世界の中でも、男が女を奴隷扱いすることが存在していたこの時代。
どれだけ過酷なものかは想像を絶します。
そんな世界に順応して、それが普通を思ってしまっていることに気づいて、
反抗する彼女の強さには、
観ている私にこの世に生きる勇気を与えてくれます。

「あなたが美しいこの紫(コスモス)の中を歩いている時、
その紫に気付かなかったら、きっと神様は悲しむでしょう。」
誰もが「人間でいる」ってことの良い部分をもっとクローズアップしていけたら、
どんなに素晴らしくなることかを教えてくれる、大変な優秀な作品です。
そんなこの映画の監督はスティーヴン・スピルバーグ。意外な感じがしますが、
後の作品、「シンドラーのリスト」「プライベート・ライアン」で頷けます。
ウーピー・ゴールドバーグの抑えた演技も素晴らしい。
それだけに、彼女がミスターに対して感情を爆発させる場面がもう、
こっちも共感しているものだから私も爆発! みたいな、
しかしこれが彼女の映画デビュー作というのだから、凄い人は凄いのだなと。
そして音楽を担当しているクインシー・ジョーンズ。
ここぞっていう場面の時に素晴らしいタイミングで、
さらに感動を呼び寄せる、もう魔法としかいいようがないです。
特にシャグが歌う「セリーのブルース」、
そしてシャグと牧師がよりが戻るきっかけとなった「黒人霊歌」の素晴らしさは、
もう言語を超えて魂が揺さぶられる、
....もう魔法としかいいようがないです。

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Punisher: War Zone 2008

https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1279252285

レクシー・アレクサンダー監督作品
「パニッシャー:ウォー・ゾーン」について

パニッシャーはこうでなきゃ!!
冒頭のマフィアの皆殺しに始まり、
後半には、この映画のラスボス “ジグソウ” が潜むアジトをパニッシャーが急襲。
「これでもか!」と連発される銃撃の嵐。
頭部が撃ち抜かれて破裂の連続と、お子様には絶対みせてはいけない
血肉まみれのゾンビ映画並みなスプラッター演出。
不謹慎極まりないのは存じているのですが、もう気分爽快。
これぞ、死刑執行人の仕事の在り方といえよう。

しかしこのパニッシャー、なんだか彼の存在や言動が、どうも「9.11事件」後、
現在、テロに対してのアメリカの精神状態を代弁しているように感じる。
冒頭のマフィアの皆殺しの際、知らなかったとはいえ、
FBIのおとり捜査官を誤射してしまったことに対して、
パニッシャーの憔悴する姿が、
アメリカの軍隊そのものを表しているかのようにみえるし、
最後にその捜査官の奥さんがパニッシャーに
「あなたのやったことは正義よ」と告げる言葉は、現実のアメリカの人々が、
何より正当性を願っている言葉のような気がして、なんだかなんだか
自虐的批判要素も見て取れる、
そんな政治映画的な雰囲気が下地にされているような。
思わず私も「正義」と言いたいところだけど、
やってることを冷静に考えると、やっぱり無理があるにじゃないかなと
賛同しかねますが、パニッシャーに関しては大いに結構、
彼は正義のヒーローです、はい。

https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1279252373

それにしても、パニッシャー扮するレイ・スティーヴンソン(左)がもう、
私の中では彼以外考えられないくらい、この役に嵌まりまくってて、
前回のパニッシャー役だったトーマス・ジェーンも格好好かったですが、
セクシーさのレベルの桁が違う、もう、なんといえば良いのやら、
....言葉にできません。
早く彼の次回作が観たい、ただそれだけです。
ちなみに上の素敵な男2人にはさまれている女性はこの映画の監督。
こんな可愛らしい人がこんな映画をっ!! って感じですが、
元空手世界チャンピオンの格闘家でもあるプロフィールで納得しました。
彼女の次回作も観たい、できればこのパニッシャーの続編を望みます。
ちなみのちなみに右の彼はパニッシャーのスタントマンです。

The Adventures of Priscilla, Queen of the Desert1994

https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1279251294

ステファン・エリオット監督作品「プリシラ」について

シドニーのゲイバーで働く女装芸人のミッチ。
恋人を亡くしたばかりの誇り高い性転換者バーナデットと、
若く世間知らずなフェリシアを誘って、
オーストラリア中部の砂漠の真ん中にある
リゾート地・アリススプリングスでショウを行うため、
大都会シドニーから「プリシラ号」と名付けたバスに乗り、
3千キロの旅に出た。

快調に飛ばすバスの中、
ミッチは興行先のホテルで別れた妻が待っていることを告白。
彼らは果てしなく砂漠が広がる道中、
砂漠でのオーストラリアの先住民・アボリジニたちとの交歓、
車の故障による一悶着などの冒険を重ねる。

そんな中、彼らは知り合った元ヒッピーの修理屋ボブを同乗させた。
ボブはパブで男たちを相手に
際どいショー(アソコからピンポン球飛ばし)を行う妻と大喧嘩し、
逃げられたというのもあって、きっと寂しかったのでしょう。

立ち寄った町でゲイへの偏見から罵声を浴びせられたフェリシアを、
「罵られて強くなるのよ。男が女になるのは簡単なことじゃないわ」
偏見と戦い続けてきた威厳とプライドの体現者である
バーナデッドは優しく慰める。

目的地に着き、不安を抱きつつ元妻のマリオンと息子のベンジーに
涙の再会を果たしたミッチ。
その夜、ショーの客席にベンジーの顔を見つけたミッチはビックリ仰天、
失神状態に。
再開の際も父親として男性らしく息子に接してきたミッチでしたが、
あくまでそれは偽物の姿。
本当の姿を息子に明かし、すんなり受け入れられて安心状態に。

やがて4週間のショーは終わり、一行はシドニーへ帰る日が来るが、
いつの間にかボブと恋に落ちていたバーナデッドは、
この地に2人で残ることに。
そして都会に戻ったミッチとフェリシアは、
今日も大繁盛なゲイバーのステージで
ドラァグ・クイーンのショウを繰り広げるのでした。


ド派手なコスチュームやケバいメイクの下には、ゲイだからというだけで、
拒絶されたり差別されたりして、傷ついた心が隠されている。
息子を前にして臆病になるミッチが痛いほどよく分かります。
バーナデッドからフェリシアへの言葉のように、
自分らしく生きることの大変さ、
でも自分の中に揺るがないものが何かひとつでもあれば、
何があっても平気なんだ、ということ。
壁にぶち当たることがあっての人生、
「だから何なのよ」と言える強さ。
それを教えてくれるからでしょうか。
観終えると不思議な爽快感が漂い、元気が戻ってくるのです。
それにしても、3人の衣装がもうポップ・アートの様で素晴らしい!!

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