2011/07/20 Category : ペドロ・アルモドバル La Flor De Mi Secreto 1995 ペドロ・アルモドバル監督作品「私の秘密の花」について "アマンダ・グリス" というペンネームでロマンス小説を書いては 成功している中年の美しい女性・レオ。 実は彼女が熱愛するハンサムな夫・パコには知らない秘密だった。 軍人のパコは最近何かと留守がちで、レオの寂しさと不安は募るばかり。 ある日、彼女はパコが買ってくれたブーツを履いて タイプライターに向かっていた時、 どうしてもブーツが脱げなくなり、パニックに陥る。 そう、これはパコにしか脱がせられない。 レオは親友の心理カウンセラー・ベティに助けを求める。 取り乱した彼女を見かねたベティは、気分を変えさせようと、 ある新聞社の知人を紹介する。 緊張の面持ちでエル・パイス紙の編集者・アンヘルを訪ねるが、 彼はレオにひと目惚れ。 ロマンス小説家 "アマンダ・グリス" の大ファンである彼は、 さっそくそのアマンダについての文芸批評をレオに依頼する。 正体を隠したまま、 別のペンネームで自らアマンダを否定する記事を書くレオ。 それはアンヘルは唸らせる出来ばえだったが、 一方で、アマンダとしての新作が不調で、 出版者から契約違反だと一喝された。 ある日、ようやく休暇が取れたパコが帰宅した。 甘い愛の時を期待したレオはじらされたあげく、 2時間しか家にいられないと言われて逆上。 そしてパコは決定的な別れの言葉を口にして、出ていってしまう。 絶望して睡眠薬をあおったレオは、 留守番電話に話す母・ハシンタの声でこの世に引き戻された。 それから朦朧として街をさまよい、偶然、アンヘルに助けられる。 目覚めた時は彼のベッドの上で、何も覚えていないレオに、 彼は「君の秘密の花を開かせた」と嬉しそうにささやく。 家に戻るとベティが心配して待っていた。 そして衝撃告白。何と、彼女はパコの愛人だったとのこと。 でも、昨夜、レオのために彼と別れたとベティは告白。 親友の裏切りに呆然としていたその時、また母から電話。 夫に先立たれた母は、 レオの妹・ロサの家に身を寄せていたが都会の生活になじめず、 もう我慢できないから故郷の村に帰ると言う。 そこで自分を取り戻すべく、レオは一緒に行くことにした。 故郷の村の家に落ちついた母は、 傷心のレオに “鈴なし牛" の話をして慰める。 夫を亡くした女は、故郷に帰ってお祈りをしないと 鈴なしの迷い牛の様に永遠と彷徨うことになると。 今のレオはまさに迷い牛。 ある日、のどかな村での生活で癒されたレオに出版社から電話が入る。 今度の2作は素晴らしいと絶賛されるも、レオには書いた覚えはない。 実はアマンダの秘密を知ったアンヘルがこっそり代作したものだった。 驚きながらも彼の計らいに感激するレオ。 マドリッドに戻ったレオはアンヘルと、 フラメンコの名手であるメイドのブランカと その息子・アントニオの公演に行った。 レオはそろそろ現実に立ち向かうため、パコとの離婚を決意。 そしてアンヘルの部屋を訪れて、 ワインを飲みながら甘いキスをした。 誰しもが落ち入ることのある、過ぎ行く中での希望の無い日々。 しかし、それでも、人生には希望が見えるという、 アルモドバルらしい人生賛歌になってる内容。 その暖かすぎる最後のアンヘルとの素敵な場面には 思わずほろっとさせられます。 そうなる前のメイドの息子・アントニオへのレノの会話。 「人生は不思議ね。苛酷で矛盾してて意外で、時にとても公平で。 ....ありがとう。暗い日々に意味を与えてくれて」 喜劇の様で悲劇を描く彼の独特な毒を残しつつ、 前向きに生きていくことによって、 高らかに人生を讃えられていく方向に変わっていく展開が とても心に響いてくる。 数ある彼の傑作の中でも、かなり好きな映画です。 彼の作品で度々登場する俳優陣はいつもながらにして素晴らしく、 中でも現代のスペインを代表するフラメンコの "若き貴公子" ことホアキン・コルテスが出演し、 やはりフラメンコの名手のマヌエラ・バルガスとの 見事な踊りを披露しているのがもう、 溜め息ものであります。 PR
2011/04/17 Category : 日本映画 ジョゼと虎と魚たち 2003 犬童一心監督作品「ジョゼと虎と魚たち」について 大学生の恒夫は、深夜に麻雀屋でアルバイトをしている。 今日の客の話題は、最近近所で見かける謎の乳母車を押して歩く老婆のこと。 明け方、恒夫は、坂の上から乳母車が走ってくるのに遭遇する。 激突した乳母車に近寄り、中を覗くと、包丁を握り締めた少女が。 恒夫は危うく刺されそうになるが、間一髪で難を逃れる。 それがジョゼとの出会いだった。 彼女は原因不明の病で生まれてから一度も歩いたことがないという。 老婆は近所に孫の存在を隠して暮らしており、 夜明け間もない時間に乳母車に乗せて散歩させていた。 そのまま恒夫は老婆とジョゼの家に連れて行かれ、 美味しい朝食をごちそうになる。 恒夫は、不思議な存在感を持つジョゼに興味を持つことに。 一方で恒夫は、大学の同級生の香苗に好意を持っている。 福祉関係の就職を希望している香苗との会話のネタに、 脚の悪いジョゼが家の中のあっちこちから ダイブすることなども持ち出したりするが、 思うように関係は進まない。 ジョゼのことも気になる恒夫は、事あるごとに家を訪ねる。 ジョゼの部屋には祖母が拾ってきた様々なジャンルの本がある。 その中から、恒夫が抜き出した1冊が、 フランソワーズ・サガンの『一年ののち』。 いつもそっけないジョゼが、その本の続編を読みたいと強く言う。 恒夫は既に絶版となっていた続篇『すばらしい雲』を古本屋で探し出し、 プレゼントする。 「ねぇ、その主人公がジョゼっていうんだよね?」 恒夫の問いかけにジョゼは全く応じず、 夢中で本を読みながら柔らかな笑みを浮かべる。 そんなジョゼを見つめながら、恒夫も微笑む。 恒夫の計らいで国の補助金がおり、ジョゼの家の改築工事が始まった。 完成が迫ったある日、突然、香苗が見学に訪れ、戸惑う恒夫。 「彼女? 恒夫くんが言っていた、すごい元気な女の子」 押入れの中で2人の会話を聞きながらうつむくジョゼ。 その日の夜、再び恒夫はジョゼを訪ねると、 ジョゼは泣きながら本を投げつけ「帰れ!」と叫び、 老婆に、もう2度と来ないようにと釘をさされる。 数ヵ月後。 就職活動中の恒夫は、ジョゼの家の改築工事をした会社の見学へ。 工事で知り合った現場主任から、 ジョゼの祖母である老婆が急逝したことを知らされ、 ジョゼの家へと急ぐ。 ジョゼは静かに恒夫を家に招きいれる。 お葬式から最近の暮らしぶりまで、淡々と語るジョゼだったが、 恒夫がジョゼの行動に口をはさんだ途端、 わめきながら恒夫の背中を殴り始める。 その怒鳴り声はいつしか泣き声に変わり、 やがて2人はお互いの存在を確認しあう様にひとつになる。 それから恒夫とジョゼは一緒に暮らし始める。 ある日、2人は動物園に行って虎を見る。 ジョゼには夢があった。 いつか好きな男ができた時に、 世の中で1番怖いものである「虎」を見ることだった。 檻の向こうで吼える虎と、怯えて恒夫の腕にしがみつくジョゼ。 それを見ながら恒夫は優しく笑う。 しかし2人で過ごすささやかな幸せは、長くは続かなかった。 ちなみにこの「ジョゼと虎と魚たち」というタイトル。 「虎」はジョゼにとって恒夫との愛の絶頂期の象徴で、 「魚たち」は恒夫との翳りの確信の象徴である。 思い上がりのロマンチストな青年と現実を見通して先へと踏み出す少女。 この2人のみせる純愛物語は、 見方によってはちょっと「偽善的」かもしれない。 なぜなら、今時の普通の大学生が、 たまたま知り合った身障者の女の子に興味をもち、 その家に入りびたり、恋に落ち、一緒に生活し、帰省する途中一緒に旅行し、 実家に連れていき、親に紹介して結婚。 2人で仲良く幸せに暮らしました、おしまい。 .....とは、絶対にいかないはずなのは目に見えているから。 案の定、いかにもそうなりそうに物語は進んでいくけど、 恒夫の帰省するところで挫折。 やっぱり、そうはいかなかったので納得なんですが、 私としては幸せになってほしかったな。と、 別の意味で納得いく様な画期的な裏切りがあったら良かったなと思います。 この2人が別れた理由は、恒夫曰く、「ボクが引いたこと」。 セックスフレンドも本命の彼女もいる、よくモテる男。 そんな男が良い意味でジョゼに興味を持ち、妙な自信があるせいか、 俺ならきっと彼女を幸せに出来る!と思い上がってしまってこの結果。 現実は厳しいものである。 それに対してジョゼの反応が素晴らしく潔い。 普通女性なら、ここまでの関係ができてしまうと、 それを容易に手放そうとしないはず。 だから、あちこちでは男女の別れの時に「修羅場」が訪れることになり、 地獄を見るのがオチですが、きれいに2人をお別れしている。 帰省を断念した途中で泊まった海のほとりにある ラブホテル「魚の館」の場面。 SEXした後、ジョゼは恒夫に対して 「私は海の底深くに住んでいた」と語り始める。 さらにジョゼは「恒夫が私の元を離れていったら、 また海の底に戻ることになる」と言う。 そして「それもまたいいや」とつぶやいて2人は眠りにつく。 そんなジョゼの言葉を聞いていた恒夫は、 そのことに異論を差し挟まなかったのが印象的。 よくあるパターンだと、そんなセリフに対して男ならすかさず、 「何を言っているんだ、ボクは一生君を離さないよ」 とか言ってしまいがちだけど、彼は黙ったまま目を閉じる。 恒夫もジョゼと別れる時がくるという気持を感じつつも、 あえてそれを安易に隠さない。 関係が終わった後、恒夫はボロボロに泣き崩れるものの、 傍らには本命の彼女。 男のズルさそのものだけど、なぜか憎めない。 そう、いうものなんでしょうね、男って。 そんな感じでジョゼはこうなることも引っ括めて想えた、だからこそ、 この2人の関係が成り立っていたわけで、 同時にきれいな「別れ」が実現できたのだと思う。 ジョゼは、この関係をきっかけに社会対して切り進んで行く。 障害者用の乗り物を乗りこなして坂道を下っていく最後の場面に、 北斗の拳ならではの「漢」を感じるのは私だけではないと思う。 ちなみに幼い頃、ジョゼと同じ施設で育った幸治の存在。 今は成長し、鉄工所で労働者として働く一人前の若者だが、 今だにジョゼはこの幸治の母親気取りで、 何でも命令口調なのが面白くない。 幸治が使う言葉は乱暴そのものだし、 ボキャブラリーも乏しい、おバカなヤンキー。 不器用ながら、そして胡散臭いと感じつつも ジョゼを見守ってる姿が微笑ましくって、 個人的にはこの映画で1番好きなキャラクターです。 あとはジョゼのお婆さん。 あの不気味さとジョゼを「こわれモノ」呼ばわりする 後ろ向きキャラクターといったところでしょうが、 所詮、密やかに静かに日々の時間を過ごしていくだけこそ 人生だと達観したもの故の、彼女の価値観や人生観なんでしょうね。 本当に難しいものです。
2011/03/29 Category : 日本映画 昭和歌謡大全集 2003 篠原哲雄監督作品「昭和歌謡大全集」について 東京都下の調布市に住む6人の若い男、 イシハラ、ノブエ、ヤノ、スギヤマ、カトウ、スギオカらは、 人生に何の目的もなく、 ぼんやり日々を生きる若い専門学生の仲間たち。 彼らの唯一の楽しみは、定期的にカラオケ・パーティーを開くこと。 そこで6人が歌うのは流行のポップスではなく、 昭和の歌謡曲であった。 音響機材からコスプレにまでこだわった 筋金入りのパフォーマンスを内輪で楽しんでいる。 ある日、極度に警戒心が強くいつもナイフを持ち歩いているスギオカが、 道ですれ違った買い物帰りの女性にブチ切れて、 喉を引き裂き、殺してしまう。 その惨殺された女性の名前はヤナギモトミドリ。 彼女は「ミドリ」という同名の離婚経験者で構成されるサークル 「ミドリ会」に入っていた。 イワタミドリ、ヘンミミドリ、スズキミドリ、 タケウチミドリ、トミヤマミドリら、ミドリ会のメンバーは、 これは自分たちを馬鹿にしたガキの犯行だ、と激怒。 死んだヤナギモトを弔うために、 また踏みつけられた自分たちのプライドを回復するために、 独自の調査を開始し、犯人の存在を突き止め、復讐することを誓う。 こうして「若者 VS おばさん」の血で血を洗う熾烈な殺し合いの 火蓋が切って落とされたのだった.... 「おばさん」という記号化されたキャラクターは、 漫画、アニメ、バラエティと多方面で面白可笑しく描かれている。 若い女性に色目を使う現金な男への失望が、 開き直った人物像の形成に起因している様に思う。一方、 それに勝るとも劣らない記号化されたキャラクターが 「オタクの若者」である。 もし、そんな二大勢力が生存を賭けて戦ったらどうなるのだろうか? 本作品は題名が示す通り、昭和歌謡の大ヒット曲で章立て構成されている。 「恋の季節」「チャンチキおけさ」「錆びたナイフ」 「白い蝶のサンバ」「骨まで愛して」「アカシアの雨がやむとき」 「星の流れに」「有楽町で逢いましょう」 そして「また逢う日まで」といった、 何処かで耳にしたことのある代表的名曲の数々。 その曲目がキャラクターの心情とシンクロし、 物語の雄弁なる語り部にもなっている。 若者とおばさんが血で血を洗う抗争を繰り広げると云う 荒唐無稽で陰惨な物語を、昭和歌謡が彩ることにより、 異次元の扉が開かれ、摩訶不思議ワールドを確立させている。 現代病とも云える無気力に支配された若者が、 リアルタイムで知らない過去の曲にのめり込み、 カラオケ・パーティに興じる様は実に皮肉が効いている。 対する女性軍団は、比較的、不自由ない生活を送りながらも、 若者にバカにされる屈辱的な日々の鬱憤が澱の様に沈殿。 それが若者との復讐合戦を通して、自信を回復し、 次第に生き生きしてくる様子が興味深いところである。 こういった、ある意味、世間にはじかれている2つの集団の戦いが どんどんエスカレートしていき、 無辜の民を巻き込む大スケールの発展するも、これまた皮肉が効いている。 妙なカタルシスに覆われる最後の場面には賛否両論分かれると思うが、 この現代において、私は有りだと思う。 若者軍団に扮するは、 松田龍平、安藤政信、池内博之、斉藤陽一郎、村田允、近藤公園。 スタイリッシュかつ、フレッシュ感溢れる豪華な顔ぶれである。 中でも松田龍平の浮世離れした存在感が凄くピッタリ嵌まっている感じ。 その虚無的な面立ちは、完璧に本作の世界観にマッチしている。 あと「チャンチキおけさ」にのせた安藤政信の死にっぷりは、 まさに絶妙で、役者魂を感じさせる名場面と云えよう。 女性軍団に扮するは、 樋口可南子、岸本加世子、森尾由美、細川ふみえ、鈴木砂羽、 そして始めに殺されてしまう内田春菊。 こちらも若者軍団に勝るとも劣らない豪華な顔ぶれである。 はっきりいって、思わず「おばさん?」と疑う面子だが、 そこは芸達者な女優陣。 観ている内に不思議と気にならなくなってくるのだから、 プロフェッショナルな仕事っぷりである。 リーダーとしてカリスマ性を発揮する樋口可南子と、 副ボス的存在の岸本加世子、孤高の悩める女の鈴木砂羽、 何処か抜けている細川ふみえ、 ほんわかとサバサバしたムードを併せ持つ森尾由美ということで、 若者軍団よりキャラクター分けがしっかりしており、 そのバランスは上手いなの一言に尽きる。 加えて脇役に、「おばさん」嫌いな金物屋の店主に扮する原田芳雄、 自転車屋の主人に扮するミッキー・カーチスが 妙演技で過激さと笑いの混交した物語に彩りを添える。 また、狂気の世界の案内人の様に花びら女子短大生・スガコに扮する 市川実和子が不気味な雰囲気を醸し出している。 こんな無残で不条理な殺人の数々は新聞ネタに事欠かないのが現在の情況。 物語の結末は突拍子もない展開だが、 元々正気の沙汰とは思えないバトル故に ここまでしても全然変ではないなと思わないでもない。 もう、それは怨恨や営利目的云々という、 それなりの「動機」あっての殺人が、 もはや通じない世の中になっているのだと、 新ためて気付かされるからだ。 個人的に鈴木砂羽扮するイワタミドリが 仲間とカラオケショップで盛り上がってる最中、 二枚目の若いホストに言い寄られて、 トイレの中での情事場面があるのだが、 愛撫の最中にイワタの肌にくっついている ピップエレキバンをみつけたとたん、 バカにされる。 若さと老いの狭間にある女にとって、耐え難い屈辱がかなり伺える。 若さへの嫉妬、限りない自信喪失感は人事ではないだけに すごくすごく共感を覚えてしまった。 この瞬間、私は「ミドリ会」の支持にまわったのはいうまでもない。