2011/09/28 Category : タ行 The Preacher's Wife 1996 ペニー・マーシャル監督作品「天使の贈り物」について とある年のクリスマス1週間前、聖マシュー教会にて。 篤実な神父・ヘンリーは、 貧しい信徒たちを助けるために心身をすり減らす日々。 クリスマスを前にやるべきことは山積みで、 教会も存続の危機にあるも、 なかなか思う様にいかず、果ては自分の力の無さに嘆くのでした。 妻のジュリアは、そんな夫・ヘンリーを理解しつつも すれ違いの生活に寂しさを感じていた。 そんなところに「自分は天使だ」と名乗る不思議な妙男・ダドリーが現れる。 彼はヘンリーを救うため、本当に天国から来た天使だった。 とはいえ、大仰な魔法を使うわけでなく、 見た目はごくごく普通なイケメン男。 ヘンリーの迷惑顔もよそに教会に居ついて、建物の修理から、 親友・ハキムが里子に出されて傷心気味な 彼の息子・ジェレミアの世話までやってのける有能ぶりを発揮。 しかし教会を潰し、辺り一帯の土地を狙う 不動産業者・ハミルトンが現れて前途は多難。 すっかり心が疲れてしまったヘンリーはついに教会を手放す決意。 そのことでジュリアと衝突、夫婦間に溝ができてしまうことに。 そんな折り、 ダドリーは多忙なヘンリーの代わりにジュリアのエスコートを頼まれ、 艶やかな彼女にたちまち恋をする。 彼女の思い出のジャズ・クラブ。 彼女は歌い、楽しいひととき。 彼女に笑顔が戻っていくと同時に、天使にも関わらず、 ダドリーは彼女に恋心が芽生えてしまう。 マイナス思考気味最高潮のヘンリーはそんな様子の2人に激しく嫉妬。 現を抜かしていたダドリーは我に返って、ヘンリーに教会を取り戻し、 ジュリアの愛を取り戻してほしいと説き、 彼に元々あったカリスマ性を引き出す。 それから不動産業者・ハミルトンの元へ行き、 いかに金亡者に成り果てて己を不幸にしているかを説き、 この教会で行うクリスマスのミサへと誘う。 そして、クリスマス・イヴ、聖マシュー教会の最後のミサにて。 子供たちによる素敵で温かなキリスト誕生の劇、 ジュリア率いるゴスペルチームの熱唱、 そして力強いヘンリーの説教により、 ハミルトンの失われていた人間性が戻っていく。 それを見届けたダドリー、心残りがあるものの、 天使マニュアルのとおり、関わる人たちの記憶から自分を消してしまう。 次の日のクリスマスにて、ハミルトンが教会から手を引くとの知らせが。 奇跡に喜ぶ神父夫婦と信者の横をさり気なく去ってゆくダドリー。 その時「メリー・クリスマス!」の声が。 ダドリーは、まだ彼の存在を忘れていなかったジェレミアに笑顔で答え、 彼らの家のクリスマス・ツリーに自分を象ったオーナメントを飾り、 天国へ帰るのだった。 神父の妻を愛してしまった天使を 優しく見つめたハートフルなラヴ・ストーリー。 この映画最大の魅力は何といっても、 ジュリア率いるゴスペルチームの熱唱場面でしょう。 映画「天使にラヴソングを 2」を手掛けた マーヴィン・ウォレンが総指揮を担当しているだけに、 すごーくすごーく、見応えがあって涙が出てしまうほどに感動します。 とにかく、神父の妻・ジュリア扮する ホイットニー・ヒューストンの歌声は素晴らしいです。 一度、ドラッグやSEX中毒で堕ちてしまいましたが、 最近、完全な復活を遂げただけに、ファンの1人として、 本当に良かったと思います。 そして、天使男・ダドリーに扮したデンゼル・ワシントンの 愛嬌あるイケメンっぷりにはもう脱帽。 あの存在は現世において罪だと思います。 それからこのドラマをここまでハートフルにした立役者は、なんといっても、 おばあちゃま(お姉さんと言わないと怒られそうですけど)の マーガレット扮するジェニファー・ルイスでしょう。 如何にこの種の魂が強靭で温かであるかを ゴスペルに並んで証明してくれる核なる存在。 彼女を観ているだけで嫌なことがあっても乗り越えて行けそう、 そんな感じです。 PR
2011/09/17 Category : ハ行 Boys On The Side 1995 ハーバート・ロス監督作品「ボーイズ・オン・ザ・サイド」について 勤めていたクラブにて、 選曲が時代に合わないとクビになった歌手・ジェーンは、 ロサンゼルスに新たな生活を求めて旅に出ることに。 一方、ニューヨークで不動産の仲買人をしていたロビンも 自分の生活に嫌気が差し、とある新聞広告にて同乗者を募って サンディエゴに旅立とうとしていた。 そこに応募して来たジェーン。 カーペンターをこよなく愛するロビンが 自分とウマが合いそうもないと一度辞退すものの、 結局、2人はともにサンディエゴに向かうことに。 途上でジェーンは友人のホリーを訪ねるが、 彼女も同棲中の恋人・ニックと険悪な中になり、 彼からの暴力を目の当たりにした2人は、 離れたほうがホリーのためと察し、 訪れたジェーンたちと共にここから出て行くことを決めた。 その際、暴れる彼にキレたホリーが彼をバットで殴ってしまう。 3人で彼を縛り上げ、逃げる様にそこから去ることに。 女3人は旅を続けて行くうちにお互いの秘密を知るようになる。 ジェーンはレズビアンで、 カーペンターズが好きな恋人に振られたばかりであり、 ロビンはNYのバーテンの男と別れたばかりで、 HIVの感染者ということ。 そしてホリーは妊娠2カ月の身だということ。 そんな道中、ニックが死んだという事実を新聞の見出しで知り、 またロビンがHIVの感染症による肺炎で倒れてしまい、 ツーソンの病院に入院することに。 ホリーは殺人の嫌疑にかけられ、警察から手配される。 3ヶ月後、入院していたロビンがいったん退院した後、 3人はホリーとジェーンの知り合いのいるバーに着く。 ほっと一息のつかの間、そこへ警官・エイブがやって来くる。 慌てふためくロビンとジェーンだったが、 実は彼はホリーの新たな恋人だった。 マッチョで可愛い警官と愛し合うホリーを目の当たりにすることに。 ジェーンは寂しそうなロビンを慰めるため、 ロビンに恋しているバーテンの男に働きかけるが、 HIVであることを劣等感に感じているロビンは憐れみをかけられたと思い、 ジェーンと衝突、そして決別してしまう。 ホリーはエイブに殺したかもしれないニックの件を話し、 正義感溢れる彼に自首をすすめられ、ある日突然、警察に連れていかれる。 初めはジェーンとエイブで裁判に臨んだものの、 いまいち良い方向に進まない。 そしてロビンの元に訪れた母と過ごすことによって、 友情の大切さを察した彼女はジェーンと仲直りして、 共にホリーの裁判に臨むことに。 裁判の末、雄弁なロビンの証言により、 ホリーは半年後に仮釈放程度の刑を受けるに及んだものの、 ロビンはその緊張感から容体が悪化し、再び入院することに。 ロビンは病床でジェーンに、 10歳のころ、自分も1人の女性を愛していた事を告白する。 やがてエイブの愛もそのままに、ホリーは子供を無事出産する。 そしてパーティが開かれる。 ジェーンたちはロビンの好きなカーペンターズの歌を歌い、 車椅子でロビンがそれを聞いていた。 ロビンが亡くなった後、ジェーンはロサンゼルスへひとり旅立つ最後、 車椅子を見つめながらパーティーで歌った歌を思い出していた。 人生に失速した3人の女性を旅を通して友情を育んで行く姿を描いた いわゆるロードムービーなのですが、 バイオレンスさは特になく、淡々と物語が進行していく中、 この特殊なシチュエーションで接するはずのないような性格三人三様の3人が、 一旦はバラバラになるものの、最終的に共通点を見出し、 永遠の友情に包まれていく過程はとても美しく、 非常に細やかな心の機微が描かれたとても素晴らしい人間ドラマです。 3人の女優は、レズビアンのシンガーのジェーンにウーピー・ゴールドバーグ、 HIV患者のロビンにメアリー・ルイーズ・パーカー、 そして破天荒なSEX依存者の気があるホリーに ドリュイ・バリモアがそれぞれ扮しています。 この3人のバランスが絶妙と言うか、 誰かが突出して映画を纏めている感じが全くないこのアンサンブルが本当に見事、 長年、映画を撮り続けたこの監督ならではでしょうか。 冒頭の場面にて、 ジェーンのヘッドフォンをロビンが借りていいかどうか尋ね、 断りもなくヘッドフォンをウェットティッシュで拭き始めるのですが、 後になって考えると、ロビンは別に潔癖性故の行動でなくて、 HIVである自分からジェーンへの気配りだったと気づいた時、 最後の回想する場面がグッと引き立って、より涙を誘うことに。 あと、警官のエイブという男性の存在。 SEX依存気味の彼女をも常に満足させるあのゴージャスな体付きに可愛い顔、 そして心から「愛する」ことを知っている男。 こんな女の理想の様な男はいないよ!と思いつつも、 ああ、本当にこんな人がいたらホリーの様に幸せなんだろうな〜
2011/09/04 Category : 日本映画 Pistol Opera 2001 鈴木清順監督作品「ピストルオペラ」について 拳銃を「あたしの男」と呼ぶ殺し屋の女、 殺し屋組織「ギルド」の番付NO.3である通称:野良猫が主人公。 ある日、同ギルドの番付NO.2の昼行灯の萬が殺された。 同じ頃、野良猫は組織の代理人・上京小夜子から殺しの依頼を受ける。 しかし連絡の行き違いから、 彼女は別の幹部(通称:生活指導の先生)を殺してしまうことに。 戸惑う彼女に、 「2人の内、どちらかを消すのが本来の目的ではなかったのか?」 と助言するかつての殺し屋のチャンプ・花田。 当組織「ギルド」の内で何かが起きている様だ。 それから数日後、 上京から組織の番付NO.1である「百眼」の殺しを依頼された野良猫。 クライアントはギルド自身ということで、 どうやら彼が組織内部を揺るがしている様だ。 しかし、「百眼」の正体を誰も知らない。 初めはその依頼を断る野良猫。 だが、他のシングル・ランカーが次々と彼に消されていく事態に、 遂に彼女はその依頼を受けることを決意する。 謎の少女との出会い。 同組織の殺し屋に命を狙われる野良猫。 数々の戦いの末、一向に姿を見せない彼に追いつめられていくも、 ようやく彼を仕留めることに成功する。 ところが、「百眼」と名乗る彼は別人だった。 実は、百眼とは上京であり、 全ては彼女が自らの引退の花道を華々しく飾るために、 自分を殺してくれる最強の殺し屋を求めて、 殺し屋たちを戦わせていたゲームだったのだ。 それを知った野良猫は、 世界恐怖博覧会2の会場で上京と華麗な銃撃戦を展開。 そして見事、彼女を仕留めることに成功する。 だが、こうして番付NO.1に輝いた野良猫をチャンプの座に返り咲こうと目論む 花田の銃弾が彼女を襲うも、能力の差は歴然。 彼女は簡単に交わしてしまう。 しかし、一連の出来事により、 殺し屋稼業を続けるにあたって空しく感じてしまった野良猫は、 花田の眼前で自らの手で、自らの命を奪うのであった。 東京駅の屋根を沢田研二扮する 殺し屋(NO.2の昼行灯の萬)が転げ落ちる冒頭から、 最後に至るまで、ゾクゾクするほど斬新な映像美が目を奪われ続けます。 江角マキコ扮する番付NO.3の野良猫の殺しの道具である 拳銃を使った自慰する場面や 山口小夜子扮する上京の暗黒舞踏の白塗りの男たちを侍らせてでの 妖艶な死に様など、 もの凄く遠回しでアヴァンギャルドな芸術性に満ちたエロティシズム。 遊び心満載な劇画的外連味のセリフ廻しや演技。 そんな魅力が詰まった日本の鈴木清順氏ならではの 素晴らしい映画です。 江角マキコと山口小夜子から醸し出す「女の色気」というものが あまりにも高嶺過ぎて、 別の次元を覗きみている様な、なんともいえない印象があります。 むしろ、武器調達人・胡蝶蘭扮する加藤治子や 野良猫のばあや・りん扮する樹木希林の方に それを感じてしまうという不思議さです。 この彼女たちがそれぞれ「夢」について語るエピソードがあるのですが、 それが目から鱗、何故か鳥肌が立ってしまうのでした。 胡蝶蘭の夢。 また三島さんの夢を見ましたのよ。 夢の中の三島さんは何故かホッカムリをしているのでございます。 元々、私は三島さんの小説が好きで、ファンでございました。 あの方、自決したでしょ、市ヶ谷の自衛隊で。 そうなんでございますよ。 お気の毒でなんとか、元の三島さんに戻したいと、 懸命に首を肉体に縫い付けるのでございます。 最初は絹糸を使いました。 でも、首は呆気なく落ちてしまう。 タコ糸、釣り糸、三味線の糸と、いろいろ試しても、 情けないほど首は取れてしまいますの。 針金まで使いましたのに、コロリと。 私の力、真心でも、詮無いことでございますのかしら。 上京の夢。 子供の頃、 デパートの楊枝の先についた小さな旗を集めるのが好きでした。 今でもあらゆる国の旗をみると、胸にジーンとくるのです。 映画「カルメン、故郷に帰る」で、 アメリカ気触れの2人の踊り子の彼方の向こうに 日の丸が翩翻と翻るのを観た時、 涙が止めどもなく流れましたわ。 ....それが夢でも。 二人の向こうに花火が上がり、弾けたかと思うと、 日の丸、星条旗、トリコロール、ユニオンジャックと、 次々に青空に広がるのですが、どの旗も、どの旗も、 血まみれ、泥まみれ、糞まみれ。 ....ごめんなさい、はしたない言葉を使って。 でも、本当に臭い、臭い血の匂い、ヘドロの匂い、 腐肉の匂いがするのよ。 火に焼かれ落ちてくる旗も、 ドイツ、ロシア、イタリア、スペイン、カナダ.... 一つとて、まともな旗は有りませんのよ。 どういう事なのでしょう。 踊り子たちは陽気にカンカンを踊っています。 ....嫌の予感のする夢で、もう見まい、見まいと思っても、 ついまた見てしまうのですよ。 りんの夢。 浜辺に鯨よりも大きな金魚が打ち上げられるのであります。 朱色の綺麗な夏の日差しに、肉体を炙られて、苦しそうにのたうって。 人は大勢居ても誰もどうすることも出来ず、 それどころか、皆が死にかけている金魚に見とれているのです。 日が沈む頃、金魚は死にました。 空が血を流したような夕焼けの下で、太陽の光を反射するその鱗は、 金、朱色、臙脂、橙、鴇色、蘇芳、荒朱、茜、影の摺墨...とっても綺麗。 私は暗くなるまで、ずぅと眺めておりました。 ....ですが、日が落ちると、あれほど艶々していた鱗から光が失せて、 松毬みたいにささくれだしたのです。 びっしりとフナムシに集られて、干涸びた目は落ち窪んで虚ろな穴の様。 穴の奥からありとあらゆる災いが溢れ出していきそうなほどに、 それは不吉で、禍々しくて。 そうなると何も金魚を見ようとはいたしません。 それでも、金魚の死体はそこに在ることを主張し続けるのでございます。 その圧倒的な大きさによって、朝な夕なに嫌がおうでも、 死んだ金魚が目に入る。 お分かりですか? 死がすぐそこに在る暮らし。 夢とはいえ、それは不思議に、心休まるものだったのでございます。