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ポテチの好きな映画についてと感想

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Calvaire 2005

https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1335033032

ファブリス・ドゥ・ヴェルツ監督作品「変態村」について

誰からも愛されるハンサムなマルクは、老人ホームや結婚式などで歌を歌い、
生計を立てているキャバレー・シンガー。
ある老人ホームでのクリスマス・ギグが終わり、
次のライブが待つ南仏の町への移動中、山の中でライトバンが故障してしまう。
真夜中の土砂降りの雨の中、人里離れた辺鄙な場所で孤立するマルク。
そこへ犬を捜す精神障害者の青年・ボリスがやってくる。
彼に従い森の中を歩いて行くと、小さなペンションの明かりを見つける。
そのペンションのオーナー・バルテルは孤独な初老の男だった。
自身をアーティストと名乗る彼は、コメディアンであった過去を語り、
現歌手であるマルクに何故か異様な執着を見せはじめる。
彼の尋常でない様子に不安を覚えつつも、
土砂降りでどうにも動けないマルクは一晩の宿を借りることに。

翌朝、マルクのライトバンの修理を請け負い、
電話で車屋を呼ぶバルテルだったが、
彼が話す電話線の向こうは、誰にも繋がってはいなかった。
この山の中で車が直らない限りどうにも動きがとれないマルクは、
「地元の村には近づかないように」と
彼から警告されていたにもかかわらず散策に出かけ、
道中、古びた納屋で家畜と獣姦をする村の男たちを目撃してしまう。
驚いたマルクはペンションへと引き返すも、やがてその村人だけでなく、
バルテルやボリスたちも狂っていることに徐々に気づきはじめる。

その夜、マルクにバルテルはかつて自分を捨てて
男と蒸発してしまった妻・グロリアのことを語り、
突如、かつて妻が自分に歌ってくれた様に歌を歌えと強要。

翌朝、マルクはバルテルが車の中を荒らし、車を破壊しているところを目撃。
問いただすも、豹変したバルテルはマルクに暴力を振るい、
妻の服を着せ、頭を刈り、「妻の不貞」を責めて納屋に監禁する。

次の日、バルテルがクリスマスツリーを採りに行った隙に逃げ出したマルクは、
熊用の罠にかかってしまう。
森の中で飼い犬を探す男・ボリスに助けを乞うも、
彼は話を聞かずにマルクを自分の犬として扱い、ひとしきり撫でた後、
バルテルに引き渡した。

https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1335033098

バルテルの狂気は加速していく。
ある日、マルクを納屋に磔にし、村の酒場へ現れ、
「村の男全員と姦通した俺の妻が戻ってきた〜!」と豪語する。
めったに村へ来ないはずのバルテルの異常さに凍り付くも、
彼が去ると古いピアノを鳴らし、奇怪なポルカを踊り出す村の男たち。

クリスマスの夜、ディナーと椅子に縛りつけたマルクを前にしたバルテルは、
意識の混濁している彼を前に満足げに妻(マルク)への愛を語る。
そこへ子牛を愛犬として連れたボリスが現れ、
更に村人たちが銃を持って乗り込み、
「彼の妻を、正当な権利を持つ自分たちのものにするため」
とバルテルを暴行。
そんな混乱の中、マルクはペンションを脱出するも、
執拗なまでに彼を追い詰めていく村人たち。
森の中、意味深な墓地を抜け、底なし沼を通り抜け、
一心不乱に駆けるマルク。
果たして、彼はこの悪夢から逃げ延びることができるのだろうか?

https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1335033132
https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1335033235

恐らく、推測ですが、
かつてこの村に女性はパステルの妻・グロリアだけで、
異様に性欲が激しい村の狂った男たちによってたかって、強姦され、
挙げ句の果てに殺された。
逃げまくるマルクが森の中でみた十字架に吊るされた死体はきっと彼女。
バルテルはそれに嘆き悲しみ、狂ってしまったのでしょうか。

一瞬出てきた赤い服の子供たちやマルクやグロリアの
赤い服は何を表しているのでしょうか。
受難....? 判るとスッキリしそうなのですが、
判らないからこそ気味悪いからそれで良しとするとして、
何となく、深い森とかそんな背景からして、
ラース・フォン・トリアー監督の作品
「アンチクライスト」が脳裏によぎります。

最期の場面、
マルクを追いすがっていた村の男が足を踏み外し沼に飲まれるのですが、
とたんに季節が冬に変わり、マルクが足を止めてその様子を眺めるのを、
その村の男は「バルテルの妻」が
自分の元へ戻ってくるのを幻視する様からして、
そういう状況で一方的に彼女を愛し、殺したのかなと。
マルク(グロリア)が「愛している」と告げたのは、
この男の希望で夢だったのかなと。
同時にこの受難を受け入れた故に出た言葉なのかなと。
「かなと」を3回連続してみましたが、
そんな感じである意味、切なくも思えますが、
傍目から観たらこんな愛なんて、はた迷惑にも程が過ぎます。
何はともあれ、狂った男ばかりの村の不条理さはかなりの恐怖です。
しかし、あの奇妙なポルカの場面は何回観ても笑えます。

それにしても、邦題「変態村」というのはどうかな? と、
かなり疑問なんですけど、
原題 "Calvaire" の和訳がキリスト教における "受難" を意味するタイトル。
そうすると捉え方もかなり変わってくると思うのですが、何故に変態村?
確かにインパクトは凄いですけど、
商魂丸出しでかなり馬鹿にした感じを見受けて、
私はとてもイヤな感じがしてなりません。
他の映画でも原題と邦題が
あまりにもかけ離れてたりするのが多々ありますが、
もうそろそろそういうことは止めてほしいものです。


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Tron: Legacy 2010

https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1335013394

ジョセフ・コシンスキー監督作品「トロン:レガシー」について

エンコム社の最高経営責任者となったケヴィン・フリンが
謎の失踪を遂げてから20年あまり。
27歳に成長した息子・サムは、エンコムの筆頭株主でありながら、
父に捨てられたという思いから、その経営に関わろうとしなかった。

ある日、父の親友で親代わりであるアランが
父から謎のメッセージを受け取ったことを告知。
手がかりを求めて父の経営していたゲームセンター跡を訪れたサムは、
起動していた物質電子変換装置によって、
コンピューター内部世界「グリッド」へと送り込まれてしまう。
”はぐれプログラム" と間違われたサムは捕まり、トロン・シティへと連行、
不要なプログラムや脱走者を抹消するべくの
「ゲーム」への参加を強制させられる。

https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1335013655

戦いの最中、サムがプログラムではなく、
ユーザー(人間)であることを知られると、
彼の前に若い頃の父と瓜二つの容姿を持つ
この世界の支配者・クルーが現れる。
混乱するサムをよそに、クルーは自らの手でケヴィンを処刑するため、
別の「ゲーム」を決行。
彼は持ち前のバイク乗りの腕を生かし、
他のプログラム達と協力して戦うも、窮地に立たされた時、
そこに現れた謎の美しい娘・クオラに救助され、トロン・シティを脱出。
都市から遠く離れた家に足を踏み入れると、
そこには失踪した父・ケヴィンがいた。
再会を果たし涙するサムにケヴィンは過去の出来事を語り始める。

ケヴィンはこの世界での英雄となった "トロン" と、
新たに自らの姿を元に作ったプログラムである "クルー" の3人で、
グリッド世界を理想郷に変えようとしていたが、
ある日、グリッドに突如デジタル生命体が誕生した。
アイソー(ISO、同型アルゴリズム)と名付けられた彼らの存在は、
ケヴィンの価値観を変え、そこに新たな人類の未来を見出すことに。
ケヴィンはアイソーたちを現実世界に送る準備を進めたが、
「完璧な世界の創造」をプログラムされたクルーは
彼らを「完璧でない」とみなし、
クーデターを起こし、アイソーたちを虐殺した。
トロンの犠牲によってケヴィンは逃げ延びたものの、それ以来、
現世界に戻れなくなったケヴィンは、
アイソーの唯一の生き残りであるクオラと共に
グリッドの荒野で隠遁生活を送っていたのであった。

https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1335013558
https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1335013587

サムは父を連れて現実世界に戻ろうとするも、
ここに来た経緯を聞いたケヴィンはそれがクルーの罠であることに気付く。
グリッド世界と現実世界を結ぶ出入り口の「ポータル」は、
現実世界からのみ開けることができ、
そこを通過するにはマスターキーである
ケヴィンの「アイデンティティ・ディスク」が必要。
クルーは「完璧でない」現実世界への侵攻のために
サムをおびき寄せたのだった。
クルーはケヴィンと再融合をすれば消滅するが、
それは同時にケヴィンの死も意味していた。
ケヴィンはクルーの野望を阻止するためこの世界に骨を埋めようとするも、
サムは父との帰還を望み、
クオラの手を借りてレジスタンスのリーダー・ズースに会いに行く。
サムとクオラは、クラブ「エンド・オブ・ライン」に
"キャスター" と名を変えて潜んでいた彼に会うことが出来たものの、
ズースはすでにクルー側に寝返っていた。

サムの元にケヴィンとクオラが助けに現れるも、
ケヴィンのディスクが奪われ、クオラも重症を負ってしまう。
クルーによってプログラムを変えられ、
"リンズラー"  と名を変えたトロンの出現。
着々と現実世界への侵攻の準備を進めクルー。
そんな窮地の中、サムたちはケヴィンのディスクを取り戻し、
現実世界への出口であるポータルへと辿り着くことができるのか!?

https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1335013620

コンピューター・システムの難しい用語がたくさん出てくるところや、
"グリッド" という世界観が、私がもの凄くハマった映画「マトリックス」と
かなりシンクロしていて、
とても興味深く鑑賞しましたところ、
こちらの方がとても分かりやすくて単純に楽しめました。
そして、音楽がダフト・パンクというのが、
よりデジタル感が良い意味でとても合っていて、
美しすぎるデジタルな街並も圧巻でしたけど、
ゲームバトルの場面は凄く格好好くで、いつ間にか入り込んでました。

それにしても、映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」でもそうでしたが、
溝ができた父と息子が同じ興味あることを通じて、
息子が父を理解して和解するといったパターンは、
割とアメリカ映画では王道ですね。
それだけ、私が思っている以上に問題視されているということなのでしょうか。

あと、和的テイストって外国にとって、
そんなに近未来な感じに思えるのでしょうか。
ケヴィンが着ていた着物の様な服とか禅とか出てきましたけど、
他の映画にも「スター・ウォーズ」とか「M-MEN」などなど、
そういうのが出る度に不思議に思う反面、
日本人としてちょっと誇らしいなと思ってしまいます。
着物はともかく、禅の思想なんてチンプンカンプンですけど。

そして、オクラの存在、
難解な数式などの問題を最適化するプログラム(アルゴリズム)が
人間の形に具現化したものとありましたが、
その者たちや人間同様に "完璧" と見なさないクルーは
何をもって完璧を見出しているのか、
その線引きがちょっと気になりました。
しかし、美しい光のラインが巧妙に置かれた
このコンピューターの世界は確かに、
ある意味 "完璧" でとても素敵でしたけど、
ここで生活するという気にはなれないかも。

しかし良かれ悪かれ、この映画にハマったのは確かです。
この独特な映像美は一見の価値有りということで、
お薦めいたします。


Paranormal Activity 2010

https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1334845187

オーレン・ペリ監督作品「パラノーマル・アクティビティ」について

とある一軒家で幸せに暮らす若いカップル、ミカとケイティー。
2人は夜な夜な怪奇音に悩まされていた。
自分たちの家に起こっている “何か” を確認するため、
その正体を暴くべく、ミカは高性能ハンディーカメラを購入する。
彼らは昼間の生活風景や夜の寝室などの生活の一部始終を
ビデオカメラで撮影することに。
2人が眠りについた真夜中に一体何が起きているのか。
そのビデオには衝撃の映像が映っていた。

https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1334845265

ドキュメンタリー風表現手法で撮影されたということで、
かなりのリアル感でもっての怖さが味わえる映画でした。
そういえば、映画「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」も
素人の撮影者という設定でした。
あの作品も張りつめた緊張感が続く中で、
次の瞬間、ドーン!って来て、それが凄く衝撃的というか、
意味不明なまま置き去りにされた様な感じで怖かったな。
よくある、来るぞ〜来るぞ〜、ほら来たーーー!っていうのは、
私にとってはもう定番になりすぎているので、
この斬新さが凄く好かったです。

https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e5b21aa450b596bc2d2c1b78a13c4a4f/1334845314

しかし、男ってどうしてこういう状況なのに妙な自信が持てるのか
不思議でなりませんって、自分も男なんですけど、
私は間違いなく、そう挑んだりなんてしません。
あと、この物語の恐怖なモノに関しては、宗教的な違いからか、
"怖さを味わう" という意味では、
キリスト教徒の人が観るよりも損をしていたかもしれません。
ちょっと悔やまれます。

この映画のDVDにはエンディングが2ヴァージョンあって、
元々のオリジナルのと、あのスティーヴン・スピルバーグ監督の
絶賛、助言を得て変えられた本編となっているものがありましたが、
断然、その本編が凄く良くて「ウワァーーーーッ!」と驚かされました。
でも私として最期の場面は、笑わずに少し悲しみを帯びて
放心していてほしかったです。
その方が奇妙な切なさが生じて、より脳裏に焼き付きそうに思うのですが、
他に観た人はどうでしょうか。
ちなみに、このDVDの特典で稲川淳二氏が解説をしているのですが、
不謹慎にもかなり笑えます。


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