2011/03/13 Category : 日本映画 Pool 2009 大森美香監督作品「プール」について 4年前、祖母と娘・さよの元を離れ、 母・京子は、タイ・チェンマイの郊外にあるゲストハウスで働き始めた。 そんな母を訪ねて一人、大学卒業を目前に控えたさよは、 チェンマイ国際空港に降り立つ。 迎えに現れたのは母ではなく、母の仕事を手伝う市尾という青年だった。 小さなプールがあるそのゲストハウスにはビーというタイ人の少年と、 不思議な空気感を持つオーナーの菊子がいた。 さよは久々に会った母が、初めて会う人たちと楽しそうに暮らしている姿を どうしても素直に受け入れることができず、戸惑いを感じるのだった。 しかし、行方不明の母親に会いたいと思っているビーや、 彼の母探しを手伝うがなかなかうまくいかない市尾、 そして余命宣告を受けている菊子たちと接するうちに、 さよは段々と心が開いていくのを感じ始めていた。 4日目の夜、さよは、どうして自分を残してタイに行ってしまったのか、 ずっと聞きたかった気持ちを素直に京子にぶつけてみる。 キラキラ光るプールの水面に映るそれぞれの風景。 好きな場所に住み、自由に生きている人たちとの素朴な心の交流の中で、 やがて日本に帰るさよの思いはゆっくりと変わっていくのだった。 タイ・チェンマイを舞台に、 それぞれの事情を抱えた5人の男女の6日間の人間模様を描く、 人と場所の不思議な関係性がテーマの作品。 この作品で登場する「プール」や「食卓」は、 人が触れう団欒の場として描かれています。 訳ありで離ればなれに暮らしてきた親子。 母の京子は、興味のあることが出来ると、 前後の見境もなく、しかもいつも楽しそうに飛んで行ってしまう、 そんな母親の身勝手な振る舞いに、 娘のさよはずっと納得できないでいました。 京子曰く、 「人と人はいつも一緒にいることだけがいいことだとは分からないし〜」 けれど、親に置いて行かれた立場のさよとしては、 「いいことかどうか私は分からないけど、一緒に暮らしたかったの」 というのが正直な気持ちだったのでしょう。 さよは、大学の卒業旅行を兼ねて、 京子が働いているタイのゲストハウスにきたものの、 そこでタイ人のビーという少年が、 まるで京子の実の子供のように可愛がられている光景を見て、 嫉妬したのも無理はないでことしょう。 苛立つさよを、その場所で暮らす人々は、 その場所ならではの空気感で包み込んでいきます。 「プール」や「食卓」という場所は、 うまく言えないことを、少ない言葉数でも伝えてくれる伝達ツールの様。 娘にどんなに罵られても、顔を崩さず素直に接する京子。 天性の優しさを持つ好青年の市尾。 独特な雰囲気を醸し出す笑顔の素敵な菊子。 そして、無垢な健気さが清々しいビー。 さよもタイの美しい自然の中で無理をせずに生きている人たちに囲まれて、 その苛立ちから次第に解放されていくようになります。 そして最後に自分の中に京子と同じ感覚があることに気がつくのです。 この映画の面白いところは、 さよの心の変化は映像としてで表現されていること。 注意深く見ていないと見落としてしまいがちです。 でも見終わった後、ふとこのこと気づく時、 そのさりげない表現がとても強く印象に残ります。 あと「生と死」という 重いテーマも隠し味程度で込められているのが伺えます。 ゲストハウスのオーナーの菊子が余命宣告を受けている人物ですので、 本来、物語としては重くのしかかる感じになるのでしょうが、 菊子は、そんなそぶりを全く見せません。 毎日を拾ってきた犬やネコたちや家畜のブタと楽しく暮らして、 微塵にも苦しみを見せません。 菊子にとって、「プール」は生と死の狭間であり、 生きていることの辛さや死んでいく定めの悲しみを 感じさせなくしてくれる楽園だったのでしょう。 「理由なんて、愛ひとつで充分だ」という本作のコピー。 余計な言葉なんて要らないんだというメッセージがよく伝わってきます。 全般的に、セリフが少ない中で、 登場人物の気持ちを大森監督はうまく捉えていたと思います。 あと役者たちの芸達者ぶりには脱帽です。 やはり、京子扮する小林聡美と菊子扮する もたいまさこの存在感は素晴らしいです。 全体的な雰囲気は「かもめ食堂」や「めがね」と同じ優しい感じですが、 人それぞれが抱える葛藤が静かに伝わってくるので、 内容はかなり重いです。 でも各々の生活していくことを 良い意味で考えさせてくれる秀作だと思います。 PR