2012/03/18 Category : ラース・V・トリアー Antichrist 2009 ラース・フォン・トリアー監督作品「アンチクライスト」について 愛し合っている最中に、 幼い息子がマンションの窓から転落して亡くなってしまった夫婦。 妻は葬儀の最中に気を失ってから、1ヶ月近くも入院を余儀なくされた。 目が覚めてからも深い悲しみと自責の念から次第に神経を病んでいく妻。 セラピストの夫は自ら妻を治療しようと、 病院を強引に退院させ、自宅に連れ帰った。 催眠療法から、妻の恐怖は彼らが「エデン」と呼んでいる森と判断した夫は、 救いを求めてその森の中にある山小屋に2人で向かった。 夫はそこで心理療法によって妻の恐怖を取り除こうと努力するも、 森での自然の現象は彼らに恐怖を与え、妻の精神状態は更に悪化。 まるで取り憑かれた様に肉欲を求める妻とそれに翻弄される夫。 3人の乞食が集まった時、誰かが死ぬと言う。 そして驚愕の最後、夫は妻を立ち直らせることができるのだろうか。 この映画は章立ての物語になっています。 とても難解なので、整理するべく、 私なりの勝手な解釈で順に追ってみたいと思います。 長文なので、「つづきはこちら」をクリックすると読めます。 「プロローグ」 ヘンデルの楽曲「私を泣かせてください」をバックに、 美しいスローモーションのモノクロ画面で夫婦が愛し合い、 息子が窓から落ちていきます。 その時に机から落ちた3体の男の象徴ともいえる兵隊の置物に、 「悲嘆・混沌・絶望」と記されているのが記されているのが気になります。 「第1章・悲嘆」 悲嘆に明け暮れて壊れた妻を自ら治療に当たる傲慢な夫。 息子が死んだというのに何も感じてない夫の様子や、 彼女は彼に「患者になって、初めてあなたに興味がわいた」とセリフから、 この家族関係は既に冷めていたことが伺えるのですが、 夫無しではいられない妻が唯一愛を見出せる "SEX" という行為に没頭してしまった。 それが原因で息子が死んだのでは? という妻の自責の念が チラホラと垣間見えます。 昨年の夏に家族で訪れた「エデン(楽園)」と呼んでいる深い森で治療するべく、 妻を連れた夫は子供が半身出てきている出産途中の鹿を目撃します。 その子供を気にかけず、ただ走り去る鹿。 息子に対してそうであった夫による罪悪感の現れでしょうか。 同じ様に妻も山小屋に駆け出して行ってしまいます。 「第2章・混沌(苦痛が支配する)」 やたらと雨の様に屋根に落ちるどんぐり、 そして朝起きると夫の手の甲に付いていたヒルの様なモノ。 まるで森が何かを彼に伝えようとしている感じ。 妻の1番恐怖するものとして「SATAN(悪魔)」と記す夫。 死にかけて蟻にたかられている幼い小鳥が落ち、 大きい鳥に食べられるところや、 昨年の夏にここで論文が書けなかった理由として、 妻が夫に話した息子の泣き叫ぶ声の幻聴からして、 妻と息子の間で何かあったのでは? と感づき始める夫。 そして彼が見つけた己の肉体を食しながら 「カオス(苦痛)が支配する」としゃべる狐。 何だか、これからが彼にとって悪夢の本番だよとお知らせされた感じです。 「第3章・絶望(殺戮)」 一見、落ち着きを取り戻して穏やかになった妻が、 「3人の乞食が集まると人が死ぬ」と謎の言葉を言います。 彼女が眠っている時、 夫は小屋の2階で妻が論文を書く上で集めた気味の悪い資料と、 どんどん記述が散漫になっていく彼女が書いた日記を発見。 その夜、妻が夫にモーションをかけて愛し合うも、 彼女が「私を叩いて!」とハードに望んできた姿勢にドン引き状態。 突然、彼女は外の大木に駆け出して自慰行為を始めることに。 そんな姿に仕方がなくか、もしくは欲情したのか、 夫が彼女に乗っかって再びSEX。 その2人を見守る様に木の脇から無数の手足が伸びていきます。 明くる日、夫は自宅に届いた息子の検死報告書に目を通し、 息子は足に奇形があることが判明。 それを妻に伝えるも反応が今イチなので、 別室に行くと壁に気になる窪みが。 そこに置かれた昨年の夏にとったポラノイド写真を発見。 息子と無表情の妻の顔、そして息子の靴が左右反対であることに気づく。 幼い息子が皮の靴をきつく結べるわけは無く、 妻がわざと反対に靴を履かせていた様。 夫が妻の1番恐怖するものとして「ME(彼女自身)」なのではと感づいた時、 突如、彼女に逆レイプさながら乗っかられ、股間を角材で強打されます。 失神した夫の足にドリルで穴を開け、砥石を打ち込んでネジで止める妻。 まるで見捨てられるのではと狂った恐怖でという様に。 そして男にとっておぞましさの極地、 強引に扱いて血の混じった射精をさせます。 目を覚ました夫は現状に阿鼻驚嘆するも、 足を引きずりながら外へ逃げます。 妻の叫び声を上げながら自分を捜すのを耳にしつつ、 狸の穴に逃げ込んだ彼は、生き埋めにされた鴉を発見。 鴉は此処に居ると言わんばかりに鳴き喚き、妻に感づかれて、 後に引きずり出されることに。 「第4章・3人の乞食」 妻に運ばれ、小屋の床に痛々しく横たわる夫。 その傍らで妻は息子が落ちた時の一部始終を SEXしながら傍観していたことを示唆した後、 きっかけを作り、暴走を止めなかった彼に対しての 性への欲望を完全に断ちたかったのか、 自らの女性器をハサミで切ることに。 絶叫し失神する彼女の元へ鹿と狐が小屋に入ってきて、 床から鴉の鳴き声が。 夫が床を剥ぐと案の定、鴉が飛び出します。 何故か同時にネジ回しも見つかり、 彼は足の砥石を必死に取り外します。 「3人の乞食が集まると人が死ぬ」の言葉通り、 彼は妻を絞殺して、火葬に至ります。 確か、キリスト教の教えの中で死ぬことは、 神の元に逝くことなので救いであり、喜びであるとのことですが、 彼女は救われたのでしょうか? 生まれ変われる意味での土葬でなく、 火葬というところが焦点の様な気がします。 マイナス思考でいくと地獄に堕ちたとも思えますけど。 『エピローグ』 プロローグと同様にヘンデルの楽曲「私を泣かせてください」をバックに、 失楽園さながら杖をつき、足を引きずりながら森を後にする夫。 途中、野いちごを食している時、 あの3つの動物たちが見送る様に佇んでいます。 するとわらわらと顔の無いたくさんの女性たちが エデンに向かっていきます。 これは夫の「もう女なんでこりごりだ!」という 女性に対しての嫌悪の表れか、 それとも別の意があるのか分かりませんが、 これ以上深読みしたところで、それこそカオス。 ただ、この初めと終わりのモノクロな部分は 男性である夫の回想ということが解ります。 結局、夫への愛情を失わせまいとした故に発展した動物的な肉欲と、 息子への仕打ちに対した贖罪との相克に苛まれて壊れた妻が、 その源である夫を巻き込んでの死への道のりという風に捉えたのですが、 女性の本質で問うとたくさんある内の一部であって、 そのものでないというのが、私の見解です。 この物語でクローズアップされた肉欲しかり、 人間である以上、様々な罪を犯して生きています。 ただ、この妻なる女性はその一部分だけに焦点において見出して、 完全な悪と解したために、ここまで狂気さながら堕ちていってしまった。 その過程において、自分のことばかりで 一向に彼女と向き合わない夫に業を煮やしたのか、 「3人の乞食」なる悲嘆の鹿、苦痛の狐、絶望の鴉を 狂った考えの元に自分の分身を作り出します。 それでも理解されないばかりか、 夫はどんどん自分から離れていってしまう。 最期は夫に殺され、その夫を「エデン」から追放します。 つまり、「エデン」と呼ばれる森は「女性の本質」を表して、 その中にある彼女が恐怖した「女の暴力性」が山小屋であって、 森そのものは恐怖の対象では無く、むしろ楽園でした。 そう考えると、自然に最後のたくさんの女性たちは彼女にとっては 「同士」ということでしょうか。 傷ついた女性たちが「エデン」に回帰したのだと思います。 男、しかも女性に対して傲慢な考えを持つ夫が その森に受け居られるわけがありませんよね。 なにはともあれ、男には解り得ない世界の物語でしょう。 PR