2010/07/28 Category : ヤ行 Factotum 2005 ベント・ハーメル監督作品「酔いどれ詩人になるまえに」について 何度職にありついても酒が原因でクビになってばかりのヘンリー・チナスキー。 有り金が底を尽き住む家すらなくても懲りずに飲んだくれる日々で、 唯一続けているのは「書く」ことだった。 湧き出る言葉を書き留めずにはいられない彼は、詩人であり作家なのだ。 ただ、せっせと出版社に原稿を送ってもボツになるばかりで、 日の目を見ることはないのだが。 ある時、バーで知り合った女・ジャンの部屋に転がり込む。 酒とセックスばかりのみじめで冴えない毎日。 それでも変わることなく彼は生きている。 チャールズ・ブコウスキーの自伝的小説「勝手に生きろ!」を 「キッチン・ストーリー」のノルウェー監督 ベント・ハーメルが監督・脚本化。 それにしてもこの邦題には、私も違和感を感じまくりです。 「FACTOTUM(雑役夫)」の原題そのままでピッタリなのに〜 グダグダな生活を送りつつも、セックスや酒の合間に執筆する。 「やり続けることができるってのは、ひとつの才能だ」 と仕事仲間がある日申してたのを、 むむっ、まさにそうなんだよなーと、 絵を描く私には凄く励みになるその姿勢。 この主人公が、そんななのになぜか品格を感じるのは 一本、筋の通ったその姿勢があるからなんだろうな。 その彼の言葉。 「もし何かにトライするなら、徹底的にやれ。 でなきゃ、やるな。 恋人や妻を失うかもしれない。 親戚や定職や正気すらも。 3、4日、飯にありつけないこともある。 公園のベンチで凍え、留置所にブチ込まれることも。 徒労や孤独も味わうだろう。 だが、孤独は贈り物だ。 他は忍耐力のテストだ。 いかに本気かが試される。 それを越え、拒絶や確率の低さをものとせず、 やり遂げた時の素晴らしさは格別だ。 もし何かにトライするなら、徹底的にやれ。 最高の気分に浸れる。 世界は自分と神々だけになり、夜は火と燃える。 最後に笑うために、障害を突き破れ。 それだけが価値ある戦いだ」 それにしてもマット・ディロン、格好好過ぎだ〜 PR
2010/07/27 Category : サ行 Smoke 1995 ウェイン・ワン監督作品「スモーク」について オーギー・レンは、ブルックリンの街角で煙草屋を営み、 毎日欠かさず店の前の街を写真に撮ることを趣味にしていた。 その店の常連で作家のポール・ベンジャミンは、 数年前に妻を強盗の流れ弾で失って以来、仕事が手につかない。 ある日、ぼんやりとして車にはねられそうになったポールは、 ラシードと名乗る少年に助けられ、彼は感謝の印に家に泊めてやる。 少年は数日後に出ていくが、その数日後にその叔母が来た。 彼の本名はトーマスで、行方不明で心配しているという。 そのトーマスは子供の頃生き別れになった父・サイラスの ガソリン・スタンドに行き、本名を隠して掃除のバイトをする。 ポールを再訪したトーマスは、実は強盗現場で落ちていた 六千ドルを拾ったのでギャングに追われていると明かす。 ポールはトーマスを家に置き、オーギーに頼んで店で使ってもらう。 トーマスはオーギー秘蔵の密輸キューバ葉巻を台無しにしてしまうが、 例の六千ドルで弁償するというのでオーギーも許す。 オーギーの所には昔の恋人・ルビーが来ていた。 実は2人には娘がいて、18歳で麻薬に溺れていた。 オーギーは娘を麻薬更生施設に入れる資金にしろと、 例の弁償の金をそっくりルビーに渡した。 ある晩、トーマスに盗んだ金を持ち逃げされたギャングがポールの家を襲う。 外から様子を察したトーマスは姿を消す。 負傷したポールとオーギーは息子同然のトーマスの安否を気づかうが、 彼は電話で無事を告げてきた。 2人はサイラスの所でバイト中のトーマスを訪問し、 彼に親子の名乗りをさせる。 晩秋、ポールにニューヨーク・タイムズ紙が クリスマス向けの短編を依頼してきた。 ネタがないと困るポールに、 オーギーは自分の14年前のクリスマスの体験を語って聞かせる。 帰宅したポールは 『オーギー・レーンのクリスマス・ストーリー』の原稿に取りかかる。 ニューヨーク、ブルックリンでの物語です。 他人事に興味津々は日常茶飯事、 だけど関わりはなるべくしない都会に住む人の感覚。 そんな感情移入まではしない上でみつめた、 いろいろな人のプライベート小話。 強いテーマはないけど、 人との関わりって割といいなって思える箇所がいくつもあって、 人間関係に疲れた時とかに観ると、 冷静に上向き方向で考えることができる。 ああ、これは私が間違ってたからか。とか気づかせてくれる余裕を作ってくれる。 私にとってかなり貴重な「癒される」映画です。 特に自分の店の街角の写真を撮り続けるのと、 そして最後にオーギーがポールに話すクリスマスの話から その写しているカメラの経緯エピソード。 煙草屋の店番中にオーギーは万引きして逃げたロジャーという少年を追いかけ、 掴まえ損ねたものの、少年が落とした財布をみつけます。 その中には彼の家族の写真が。 オーギーは届けに、彼の家を訪れます。 そこには高齢で盲目の老婆しかいません。 クリスマスの日に一人で過ごすのは寂しいために、 老婆はオーギーを自分の孫と勘違いしている「ふり」をして接し、 オーギーもその「暗黙のゲーム」に付き合います。 そして老婆が酔って寝ている間に、 オーギーはトイレに隠してあった盗品と思われる新品のカメラを盗んで帰宅、 後に毎日このカメラで写真をとっている、そんなお話。 このお話には嘘があります。 オーギーは老婆がドアを開ける時に、15個の鍵を開けたと言っていますが、 オーギーの話の白黒再現場面でも見られるように、鍵は3個しかありませんし、 実際、盲目の老婆が15個の鍵を開けることは無理でしょう。 この話を聞いていたポールはもちろん、この部分の嘘に気が付きます。 問題は何故このような判りやすい嘘を付いたかを、 オーギーに対してポールは 「君は嘘のつき方がうまい。 勘どころを心得てて面白い話に仕立てる。すばらしい話だ」 と言ったのかです。 実はこのオーギーと老婆の「暗黙のゲーム」は、 そのままオーギーとポールの「暗黙のゲーム」につながっています。 この場面の前にポールはオーギーの店で煙草を買いますが、 いつも2缶買うのに、 その時は「自分の健康を心配してくれるひとがいるから」と言って 1缶しか買いませんでした。 しかしポールにそんな人はいないことは、 オーギーの部屋で亡き妻エレンの写真をみた時に 号泣していたことでオーギーは察していたわけです。 そしてオーギーは自分の話も(おそらく全てが)嘘であると ポールに気付かせることで、話を一方通行的な「情報」にするのではなく、 心が通い合い共有できる「暗黙のゲーム」にしたのです。 「秘密を分かち合えない友達なんて、友達といえるか?」 「確かに。それが生きてることの価値だ」 最後の2人して美味そうに煙草を吸いながらの微笑み合うのが とても印象的です。 そしてこのことはこの映画のメインテーマにもなっています。 とにかくハーヴェイ・カイテルとウィリアム・ハートの存在感が素晴らしい! ただ、登場する女性たちの影が薄いというか、 みんな可哀相に感じてしまって、 誰かしら、幸せになるところを見届けれる場面があったらなと、同時に ゲイとかそういうセクシャルな意味ではなくて、人間味という観点で この監督はあまり「女性」に対して興味がないのかなと、 ちょっと残念に思えました。 でも冷ややかな目線なのに温かくもなせる、 なんだか村上春樹の小説みたいなギリギリラインの感覚、 やっぱり好きなんだよな〜 ちなみに、 この監督の次の作品「赤い部屋の恋人(The Center of the World 2001)」は 女性の影の薄さが、より浮き彫りにされている感じの内容で.... 公開当日、ルンルン気分で観に行って撃沈した記憶が今、甦りました。
2010/07/26 Category : カ行 Gods and Monsters 1998 ビル・コンドン監督作品「ゴッド・アンド・モンスター」について 「フランケンシュタイン」と「フランケンシュタインの花嫁」で名を馳せ、 晩年、謎の死を遂げたジェームズ・ホエール監督。 その彼に焦点を当てた、繊細かつも重厚なる人間ドラマです。 自宅のプールでゲイばかりのパーティーを開くなど奔放な生活を送っていたが、 今ではすっかり映画界から忘れ去られ、 孤独な生活を送っている。 発作を起こし入院、そして退院してきたばかり。 そこで現れたマッチョでセクシーな海兵隊あがりの新しい庭師・クレイトン。 彼に惹かれたホエールはクレイトンに 「絵のモデルにならないか」と持ちかける。 クレイトンは彼が有名な「フランケンシュタイン」の監督と知って、 承知する。 実は発作以降、ホエールの記憶は混乱をきたしていた。 遠い昔の思い出が次々と目前に募るのだ。 北イングランドでの貧乏な少年時代、 フランドル戦線の塹壕での淡い恋の記憶、 そしてハリウッドでの黄金時代。 彼に仕えて15年になる住み込みメイド・ハンナは、ホエールは その肉体の「罪」によって地獄に堕ちると言いつつも、彼の体を心配し、 クレイトンの存在がホエールの害になるのではと気を揉んでいた。 ハンナの口から彼がホモセクシュアルであることを聞かされたクレイトンは、 彼と衝突するも、次第に2人は打ち解けていく。 ある日、ホエールの元に 映画監督のジョージ・キューカーからパーティの招待状が届く。 隠れゲイであるキューカーとは折り合いが悪いホエールは、 嫌々ながらクレイトンを伴って出かけた。 そこで思いがけずボリス・カーロフら、 彼の「モンスター」たちと再会するはめになる。 過去の記憶が再び彼を襲い、ホエールは目眩を覚える。 そんな折、急の嵐に見舞われ、ふたりはホエールの家に逃げ帰る。 ハンナは留守にしていた。 まさにフランケンシュタイン誕生の夜の様な、雷鳴の轟く夜が更けていく.... まだまだお爺さんと呼ばれるには、程遠い未来ですが、 私にもいずれやってきます。 今は普通にこなしていまずが、そのいずれ、枯れてしまうはずの「性」。 「この年になれば、もうそんなことには興味がない」 年を取るとそう、なるのだと思ってきましたが、そうならなかった時。 肉体的には衰えていく一方、それががなくならずに、 むしろ精神的に増長していった時。 そのことを考えてみると、 「もう満たせれない」と「死」が待ち受けている現実を 強制的に向き合わせられるなんて、欲あるゆえ人間の業というのか、 とにかく「恐ろしい」では済まされない境地に立たされそうです。 この主人公の様に、暴走の果てに何をみるのか。 「神は人間を生み、人間は怪物を産み落とした」 私の場合、真摯に受け止められずに、 私は違うとのたうち回って身を滅ぼすか、発狂するか。 たぶんどちらか一方で落ち着きそうです。