2011/08/23 Category : デビッド・リンチ Inland Empire 2006 デビッド・リンチ監督作品「インランド・エンパイア」について ハリウッド女優のニッキー・グレースは、 街の実力者の夫と豪邸で暮らしている。 ある日、ニッキーは「暗い明日の空の上で」という 映画の主演に抜擢されることに。 キングスリー監督ともう1人の主役であるデヴォン・バークと共に 製作に意欲を燃やすニッキー。 しかし、この映画「暗い明日の空の上で」。 実は曰く付きのポーランド民話を元にした 映画「47」のリメイク作品で、この映画は主演の2人が撮影中に殺され、 未完になったという企画であった。 それでも女優の再起を狙うニッキーは製作を進めていくのだが、 精力的にその役にのめり込めばのめり込むほど、 この脚本に込められていた呪いの様な「ファントム」を呼び起こし、 その作用の働きによって、 彼女の中で現実と虚構の境界が曖昧になっていくことに。 リメイク版映画の世界での共演者との不倫。 時折、垣間見える3人のウサギ人間たちが居る50年代風の部屋。 オリジナル版映画「47」での世界と、 その関係者が居る寂れた雰囲気のポーランドの夜の街。 その世界をモニターで見つめる 呪いの世界に閉じ込められたロスト・ガールたち。 ニッキーの追求を阻み、 この「内なる帝国」に捕らえようとする「ファントム」、 そして、その作用を阻止するべく密かに動き始める関係者たちの想い。 その幾つかの世界での事情が次第に入り混じり合い、 何が真実で何が偽りの妄想なのか。 そんな悪夢の様な連続に翻弄されつつも、突き進んでいくニッキー。 やがて現実での映画が撮り終えた直後、 「ファントム」と直接対峙することに.... ここからは友人と話した結果、 この物語における自分なりの解釈なのですが、 ある「不倫」という不貞行為をテーマにしたポーランド民話に対して、 それを好しとしない様々な人々の想いが凝り固まって形成された悪意の塊。 やがてそれが独り歩きして「ファントム」という悪の象徴となり、 オリジナル版「47」のヒロイン・スーザンの夫をサーカス団に追いやり、 彼女を隣人のクリンプという男と不倫をさせ、 帰ってきた夫に殺させたり、 オリジナル版のヒロインを演じた女優に不倫をけしかけて殺したりと、 触る人たち全てに取り憑き、殺害、 そしてそのモノが支配する「内なる帝国」に閉じ込めてきました。 再び映画のリメイク化によって、 この支配がままならずにして破壊される可能性を感じ、 同時に巨大化するべく我策して表の世界に降臨しようとする「ファントム」。 リメイク版のヒロインに抜擢されたニッキーを手始めに、 相手役のデヴォンと不倫させて悪の道に陥れて取り憑こうとするのですが、 彼女はなかなか潔く堕ちないし、 むしろ、挑む様に映画の役作りに没頭し突き進んできます。 それが殺されても今だ囚われている人たちに希望を与えることとなり、 「ファントム」の力を恐れつつも、 降霊会の年寄り達やロスト・ガールたちを始めとする 各世界の囚人たちがウサギ人間の世界の部屋を通じてコンタクトし、 少しずつニッキーに助言や力を与え、先に進ませます。 それでも「ファントム」の力は強大で、 リメイク版の不倫相手・ビリーの妻に殺しを命じたり、 幾つもの世界をより複雑に歪ませたりと、 かなり翻弄させて彼女をボロボロにするのですが、 見事、リメイク版「暗い明日の空の上で」を最後まで演じ切ります。 そして、降霊会の年寄りからスーザンの夫に託された拳銃を彼女が引き継ぎ、 ロスト・ガールたちの存在を理解して、 「ファントム」に挑みます。 彼女が何発も撃ち抜いたはずの「ファントム」は倒れずに、 ニッキー自身に変身します。 それで一瞬怯んでしまうものの、意を決して、 彼女自身の邪な欲望にシンクロしたそれを見事に撃ち抜いて消滅させます。 すると今まで開くことのなかった牢獄の扉が開き、 モニターの映像を泣きながら観ていたスーザンの部屋に彼女が現れ、 2人は抱擁するも、すぐに生きているニッキーは消えてしまいます。 スーザンはその後に部屋から出ると、自宅に通じ、 そこに彼女の夫と少年が待っていて、 その少年は不倫で出来た子供なのでしょうが、 きっと許されたのでしょう。 優しく幸せそうに抱き合います。 それを察した囚われていた者たちが外に逃げ出しはじめ、光の中へ、 すなわち、成仏に至るのです。 最後のエンドロール。 初めの場面での近所に引っ越して挨拶にきた女性の言葉。 彼女は扉をくぐって分身をつくり出した少年の様に、分裂し、「悪魔」すなわち、 邪まな方向へ走ってしまう自分と呪いを解放しようとする自分とに分かれ、 それから市場を抜ける少女の様に、裏道を通って呪いの解放を成就させ、 現実へ戻って来れた。 その清楚で静かに長椅子に腰掛けている姿の神々しいことといったら! その成功に、彼女が裏道を通って辿り着いた彼女自身の「内なる宮殿」にて、 呪いの中で苦しみ、解放された亡霊たちが囲って楽しく踊りまくり、 祝福している場面は涙が出てくるほど感動します。 この映画の面白さは、 デビッド・リンチ監督が仕掛けた複雑に絡みまくった悪夢を 深読みしまくって、自分なりに暴いていくことだろうと思います。 時間がある時にじっくり、この悪夢を体感してほしいです。 他の映画の様にただ観ているだけだと、 なんだこれは!? という陳腐な結果に堕ち入るという、 ストレス堪りまくりの散々な結果となるのですが、 理解した瞬間の爽快さはもう格別。 その一言に尽きます。 PR
2011/08/18 Category : ラ行 La Cité des enfans perdus/The City of Lost Children 1995 ジャン=ピエール・ジュネ監督作品「ロスト・チルドレン」について 近未来の半ば朽ちかけたような世界にて、 とある科学者が海上の基地で生命を創り上げた。 妻にすべき美しい女性を造ったが、妙な小女になってしまった。 それから自分のクローン6体を造ったが、 その内1体は眠り病、4体はおバカさん、 そして1体(クランク)は知能は優秀だが夢を見ることができないので、 老化速度が異様に早いという欠陥があった。 更に自分の分身として頭痛持ちの脳髄(イルヴィン)を造った。 するとクランク率いるクローンたちの反乱が起こり、 その科学者は海に投げ捨てられてしまった。 ボスとなったクランクは老いを怖れて 「夢(を)見(ることを可能にする)装置」を開発。 たくさん夢を見る子供の頭脳とシンクロするために無垢な子供が必要に。 盲人達に見えるメガネを与え、 その代償として子供を貰うというシステムを形成し、 その者たちを "一つ目教団" として町に横行させ、誘拐しまくることに。 やがてサーカスの怪力男・ワンの幼い弟・ダンレーも誘拐される。 彼は必死で探すも、知能が足りないのでうまく見つからない。 そして、ワンは9歳の美しい小娘・ミエット率いる孤児の泥棒団に出会う。 彼女は至ってクールな人生観を持つが、 子供よりも純粋なワンに心魅かれて手伝う決心をする。 しかしそのことで窃盗団の首領であるシャム双生児の姉妹から 命を狙われるはめに。 彼女たちの刺客としてノミを操る元サーカス団長・マルチェロが放たれる。 2人は "一つ目教団" の本拠に潜入するが捕まり、処刑されることに。 シャム双生児の姉妹は蚤使いのマルチェロを使ってワンを救出するが、 ミエットはそのまま海の底へ。 そこで彼女は海底に住む奇妙な男に救われる。 彼こそ、クランクや6体のクローンたち、 そして脳髄・イルヴィンの創造者であるあの科学者だったのだが、 彼は記憶を失っていた。 紆余曲折を得て、子供たちのいる海上基地に向かう2人。 一方、実験室ではいよいよ狂気を増して暴走するクランクを破壊するため、 イルヴィンが子供の夢に託したメッセージ・カプセルを海に流した。 このカプセルの夢で海に住む科学者は記憶を一部取り戻し、海上基地に向かい、 ミエットも同じ夢を見て子供連続失踪の真相を悟ることに。 2人は再びシャム双生児の姉妹に殺されそうになるも、 マルチェロに救われ、基地内の実験室に潜入したミエット。 そこでクランクの脳に接続されたワンの弟・ダンレーを発見。 ダンレーを救うため、イルヴィンの指示に従って2人の夢の中に入り、 クランクの呪縛を見事破壊する。 一方、科学者は記憶が不完全なまま、 自分のクローンたちに命令して実験室爆破の準備を進めていた。 6人のクローンとイルヴィン、それに誘拐された子供たちを救出した ミエットとワンは間一髪でボートで逃亡に成功。 そして、寸前に記憶を取り戻した科学者は 「無と無限はイコールだ!」という意味不明の言葉を叫び、 実験室とともに自爆する。 老と若、そして美と醜という対比が連続する世界。 この映画に登場する大人のほとんどが醜く、子供は可愛い。 最後のミエット対クランクの夢対決で、 老と若、美と醜が逆転する姿を見せることで、 両者に違いがないことを証明している様。 夢を見ないと老いるのが早いので、夢を見て生きなさい。 そのためには子供の様な清い心を忘れてはいけませんということでしょうか。 「魅力」という角度の視点で、見た目が大人だろうが、子供だろうが、 心が強いものは強いし、弱いものは弱いということでしょうか。 普通ではない異形な雰囲気や一癖ありすぎる人物が多く、 そういう場合の大体はそんな人物に焦点が当てられ、 魅力的に描かれているのですが、 この映画で唯一といっても良いぐらい現実的で大人のヒロイン・ミエット。 彼女の美しさの「魅力」は、ハンパなく強力でズバ抜けてます。 いろんな意味を含めて人間は見た目だけでは決まらない ということでしょうか。 そんなミエット扮するジュディット・ヴィッテの品格は 格別で素晴らしかったです。 そしてこの独特の世界観や映像は凄過ぎ! それだけでも見る価値のある映画です。
2011/08/11 Category : ペドロ・アルモドバル Los Abrazos Rotos 2010 ペドロ・アルモドバル監督作品「抱擁のかけら」について 2008年、マドリード。 映画脚本家のハリー・ケインはかつて映画監督だったが、 14年前のある事件をきっかけに視力を失った。 それから本名の「マテオ・ブランコ」から名前を変えて生きている。 事情を知るエージェントのジュディットと彼女の息子・ディエゴが、 ハリーの生活や仕事を支えられながら、 不自由なく仕事に、日々に暮らしを続けていた。 しかし、ある新聞記事により、 彼の押し込めていた記憶と愛が追いかけてくる。 ある日、ライ・Xという男が自分の監督作の脚本をハリーに依頼する。 内容が「父の記憶に復讐する息子の物語」と聞き、 ハリーは自分向きではないと断る。 しかしその時、ハリーはその男が 実業家・エルネストの息子であることを思い出していた。 それを見守る母・ジュディエットの不安げな様子に疑問を持つディエゴ。 ハリーの過去に興味を持つディエゴに求められ、 マテオ時代のことを話し始める。 14年前の1994年、 新進監督だったマテオはコメディ映画を撮ろうとしていた。 エルネストの愛人だったレナは一度諦めた女優になる夢を追いかけるため、 オーディションに申し込む。 マテオは彼女を一目見るなり心を奪われ、 ほとんど演技もできない素人であるにもかかわらず、 映画の主役に抜擢する。 撮影に入り、ぎこちなくもどんどん輝きを増すレナ。 しだいにレナもマテオの才能に惹かれ、2人は恋に落ち、 愛し合うことに。 映画へ出資しプロデューサーとなったエルネストは、 息子のエルネストJr.をメイキングの撮影という建前で撮影現場に送り込むが、 実際はレナに執着し、非常に嫉妬深い故の監視が目的だった。 しかしマテオとレナの激しい愛は、もはや隠すことができなかった。 暴力と脅迫にまで進んでいくエルネストから逃れるため、 撮影を終えたマテオとレナは、カナリア諸島のランサロテ島へ旅立つ。 幸せなひと時を味わう2人。 その頃、マドリードでは、 マテオが製作を中断したはずの映画が完成したという広告や、 プレミア上映での酷評記事が出ていた。 マテオが状況を調べるため、マドリードに戻ろうとした前日、 マテオとレナを引き裂く交通事故が起こる。 2人が滞在した部屋のゴミ箱には、 破られた抱き合う2人の写真が大量に捨ててあった。 14年後の2008年、ハリーはライ・Xを訪ね、 事故の夜のマテオとレナを撮影したフィルムを受け取る。 それらを回想し、さらにはジュディエットの告白により、 事の詳細が明かされる。 一度は復讐を考えるハリー。 しかし、レナ出演の映画「謎の鞄と女たち」のネガを再編集することで、 すべてを清算することに。 それは、関わった人々すべての想いをこめた人生の再編集でもあり、 レナへの鎮魂歌でもあった。 この監督の作品としては 意外とあっさりした展開の少しサスペンス味のあるメロドラマ。 しかし、それを重く趣きある感じにしているのは、 監督の演出力と俳優陣の上手さだと思う。 特にレナ扮するぺネロぺ・クルスの 美しくも罪深い存在感は素晴らしすぎるくらい。 その輝きに対してジュディエット扮するブランカ・ポルティージョの存在。 ずっと内に秘めた女の静かな演技はちょうど対になる濃度の濃い影の様。 その点、男優陣は控えめな感じで、 またそれが好かったりするわけなんですけど、 自分としては主人公であるハリーはもっと絶倫で好き者、 しかし憎めない、 性的な魅力満々な感じだったらもっと良かったな〜と。 例えば「Punisher: War Zone」のレイ・スティーヴンソン(上の画像左)、 もしくは「No Country for Old Men」の ハビエル・バルデム(上の画像右)とか。 そういえば、ハビエルさんはぺネロぺ・クルスの旦那さんでしたね。