2011/09/01 Category : スタンリー・キューブリック 2001: A Space Odyssey 1968 スタンリー・キューブリック監督作品「2001年宇宙の旅」について ホモ・サピエンスが出現する以前の太陽系に、 "神" と見紛うばかりの超知性と超科学力を持った超人類が訪れ、 3種類のモノリスを設置しました。 第1のモノリスは、これに触れた類人猿に知恵を与えるために、地球上に。 恐ろしい死者が呻き声を上げまくった感じの気味が悪いBGMを背景に、 ある類人猿集団のリーダー格が 突然出現した黒い墓石の様なモノに恐る恐る触れます。 するとそのリーダー格は動物の骨を拾って棍棒の如く振り回し、 骨を砕き、動物を殺し、 最後は自ら生き残るために敵対したグループのリーダー格を撲殺することに。 それからその武器である骨を空高く投げて、未来の宇宙の場面に繋り、 それが宇宙船に変化します。 これにより、宇宙船こそがこの時代の類人猿の子孫の武器となったことを 示唆していると考えます。 第2のモノリスは、強力な磁気を帯び、太陽光線に触れると 木星へ信号を飛ばす様にセットされた上で、月の地下に。 月には大気も生命も無いところで太陽光線に触れるということは、 母星である地球から誰かがやってきて、発掘できたということ。 つまり、第1のモノリスの使命が終わり、宇宙空間を越えられる程に 類人猿が進化したということを示すスイッチになるわけです。 そして、そこまで進化した生物ならば、 必ずや信号の後を追って木星に来るはず。 案の定、フロイド博士が月面で発掘した謎の物体 「第2のモノリス」に触れた18か月後、 極秘プロジェクトとして、調査員を木星に向かわせます。 ここで宇宙船・ディスカバリー号の登場です。 乗組員は初っ端から人工冬眠している3人の科学調査員と副船長のプール、 そして船長のボーマンと 史上最高の人工知能・9000型コンピューターのHAL(ハル)。 順調に進んでいた飛行の途上にて、HALはボーマンに、 この「木星使節」探査計画に疑問を抱いていることを打ち明けてから、 徐々に関係が狂っていきます。 その直後、HALは船の故障を告げるのですが、 実際には問題はありませんでした。 「ちょっと、HALおかしくなってるんじゃない?」ということで、 ディスカバリー号のボーマン船長と副船長のプールはHAL自体の異常を疑い、 その思考部を停止させるべくHALに感づかれない様に密談するのですが、 小窓から見える2人の会話する口ぶりにより、 読唇術にてこれを察知したHAL。 「このままでは私が殺されてしまう! そしたらこの任務は台無しじゃん!」 ということで、非常に人間的な回答の末、 全ての乗組員の殺害を決行することに。 結果、人工冬眠中の3人の科学調査員は生命維持装置を切って死に至らしめ、 プールは船外活動中に宇宙服を破壊され、宇宙空間に投げ出されてしまい、 ボーマンが必死に救助するも、自らの命も危険に晒されることになり、 一度救出したプールをやむなく宇宙空間に投げ出す羽目に。 唯一、自力で生き残ったボーマンはHALの思考部を停止させ、ある意味、 HALを殺すことに成功。 すると同時に、あらかじめ録画されていたVTRが回りだし、 画面にてフロイト博士は、 18ヶ月前に知的生命体が存在する証拠(第2のモノリス)を発見し、 それは木星に向けて強力な電波を発していた、と。 そして、事前にHALがそのことを知っていたということが判明することに。 本来、完璧な正確さを誇る 史上最高の人工知能・HAL(ハル)9000型コンピュータ。 しかし、真の計画を乗組員にバレない様に 嘘をつき通すことを余儀なくされたこと故に 狂ってしまったかが分かったのだが、もう遅い。 この時、旅の目的地の木星圏に到着していたのだから.... ということで、ボーマン単独と化したディスカバリー号は、 木星の衛星軌道上に仕掛けられた第3のモノリスに接触。 第2のモノリスを掘り出したばかりの類人猿の子孫は、 まだ宇宙に乗りだしてから間もないはずだから、 木星に派遣された者は、 その種族中で特に優れた個体と看做してよいでしょう。 彼らが求める適切な "サンプル" というわけです。 その採取を行うのが、その第3のモノリス。 そのモノリスの空間にサンプル(ボーマン)を封じ込めた後、 サイケデリックな光の洪水(類人猿の子孫には知覚されたもの)の中へ。 原始星雲の誕生、または崩壊、想像を絶する天体現象、 様々な宇宙種族の超文明の遺跡、 未知の惑星や恒星の表面等などを引っ張り回されブラシュアップ、 ロココ調の監獄の様な部屋で生命の無駄な垢を削ぎ落し、 スターチャイルド(胎児)として、 高次の次元に引き上げる存在に生まれ変わらせます。 そして更なる実験のため、 用済みとなった地球を「彼」に玩具として与えられました。 いわば地球は彼らにとって実験の媒体に過ぎず、 ただそのために、人類とその文明が作られたというのが、 よくこの映画での話される内容の解釈です。 モノリスが現われる度に流れる音楽は、 リゲティの「レクイエム」という曲で、 亡霊たちが死に喘いでる様な不吉な響きを聴いたらすぐに分かります。 これは「死」のモチーフに他ならない! 明らかに私たち種族に対しての呪詛じゃないかと。 超人類である彼らがモノリスを通して、 私たちの祖先である類人猿に伝えたのは、 「発展」のための知恵ではなく、 「殺人」のための悪い知恵ではなかったのか、と。 その悪意による発展を遂げる度に流れる音楽は、 シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」という、 「超人」の誕生を暗示する曲というのがなんとも皮肉過ぎだろう!と 声を荒げてしまいそうな、同時に己に潜むその要素に対して、 背筋が凍る感じがもうなんとも言えない気分に堕ち入ります。 改めて慄然とせざるを得ません。 呪われた種族である人類の業の行く先は、 もう、地獄に堕ちる以外の選択はないのでしょうか。 でも不思議に私の中で違うと叫びます。 ....それにしても、なんと美しく壮大で恐ろしい映画なのでしょう。 PR
2011/08/28 Category : ラ行 Lush Life 1993 マイケル・エライアス監督作品「ラッシュライフ」について 生真面目で愛嬌のあるトランペット奏者・バディーと、 素敵な妻がいるにも関わらず、 女に目がないハンサムな髭面のサックス奏者・アル。 2人は腐れ縁ながら古くからの親友であるジャズ・ミュージシャン。 彼らは仕事の依頼があればどこででも演奏するという、いわば、 その日暮らしの生活であったが、 お互いの仕事を世話し合うほど仲が良かった。 ある日、バディーが酷い頭痛に襲われる様になり、 病院で検査をすることに。 検査結果は末期の脳腫瘍....残り数ヶ月の命だという。 自身の身に降りかかった絶望的な病状を知り、 自殺を考えるまでに落ち込むバディー。 これをなんとか励まそうと奔走するアル。 彼が「最後に盛大なパーティーがしたい」という言葉を実現にするべく、 自分自身の問題は取りあえず置いといて、 最後の刻が刻々と迫る中、その準備に取りかかるのだった。 自分が創り上げた作品や技が、 この世に名声や大いなる価値を見出されることを夢見ることは アーティストなら誰しもが想い描く「成功」の道。 ジャズ・シンガーの夢を捨てて、今では小学校の副校長となったアルの妻。 彼女は夢に没頭して刹那に生きるアルに対して、 もっと現実的になって欲しいと行動するも、 彼にその気がないのでいつも空回り。 しかも仕事場に出向けば他の女と寝ている感じからして、 案の定、彼への愛が冷めていく。 一方、アルは妻からミュージシャンを止めて サラリーマンになってほしいアピールにウンザリ。 彼は妻を愛しているが、他の女にも目がいってしまう。 別に金に困って生活がままならないわけでもないし、 今楽しくやってるんだからそれでいいじゃないか〜!という風に 現実的な女と自由を求める男の良くあるすれ違い模様。 そこに親友・バディーの死の宣告。 この夫婦にとってかけがいのない友人を失うという現実は、 そんな生活がどうこう〜という事を捩じ曲げてしまうほどのハプニングなわけで、 素晴らしいジャズ・ナンバーの後押しもあって、 取りあえず、この夫婦の溝は鞘に納まって塞がれたのですが、 その効力はバディーが亡くなるまでだろうな。 男と女の関係は難しい。 妻から追い出されたアルがバディーの家にいき、 彼が「正直、女ってわからねぇ!」と嘆いた時、 バディーが話した「ある男」の話。 ある男が新婚旅行が新婚旅行へ行った。 ある時、ホテルのバルコニーから見下ろすと、 そのプールサイドで白い水着を着た凄い美人を見かけた。 一瞬の出来事だった。 それから20年間、彼女のことが頭を離れなかった。 どうしても忘れられなかったんだ。 それが夫婦の溝を作った。 彼はどうしても心から妻を愛せなかったから。 結婚から20年目にその夫婦は同じホテルに行った。 そこで彼はまたあの女を見たんだ。 白い水着を着たあの彼女を。 今度は、彼はその女に駆け寄った。 そして彼女の顔をのぞいて見ると....それは妻だった。 「ある男」と自分を称したバディーのメキシコに妻と旅行して、 彼女から離婚が言い渡されたこの話が妙に残ります。 その点、同じ道を歩む男同士の友情は良いものだなと改めて思います。 同じ男同士でも、性愛が絡むと この夫婦と同じ様な雰囲気になってしまうことから、 やっぱり子作りを主にしたSEX以外、 性欲を持つということは罪なのかなと思うのですが、 うーむ、こればっかりは仕方がないことかな〜(私は諦めました) それにしてもこの映画で数々の有名なジャズ・ナンバーが これでもかというくらいに演奏されて、 ジャズ好きな私にとってはとても得した感のある内容です。 悲しい雰囲気にはならずに、スカッと爽やかな結びの最後は、 ジャズならではの "粋" でしょうか。
2011/08/26 Category : カ行 Volcano High 2002 キム・テギュン監督作品「火山高」について 幼い頃、電気ウナギの水槽に落ちて雷に打たれてからというもの、 強大な "気" の力を持ってしまったギョンス。 それを持て余すが故に、いつも望まぬトラブルに巻き込まれてしまう彼は、 8つの学校から退学処分を食らった末、この火山高校へとやってきた。 「今度こそ卒業証書を手に入れる!」と 固い誓いを胸に、校内へと足を踏み入れるギョンス。 この火山高は、「教師の乱」の抗争で混乱真っただ中。 その上に生徒たちによる覇権争いが続いていた。 これを治めているのは、支配する力を得る技が記されている秘伝書 "師備忘録" を持つ校長先生。 彼が最も信頼する生徒で、火山高きっての人並みぱずれた "気” の力と武術で NO'1の実力を持つ茶道部のハンニムに守られることによって、 辛うじて平穏を保ってきたのだ。 しかし、火山高の支配者たらんと野望を燃やす者たちが、 隙あらばと虎視眈々と狙っていた。 ある日、重量挙げ部主将として荒くれ者集団の「無情組」を率いるリャンと 教頭・ハクサの陰謀により、 ハンニムは校長に毒茶を飲ませた犯人として幽閉される。 邪魔者がいなくなったということで、 彼らは "師備忘録" を探しまくるのだが出てこない。 転校生のギョンスはもうトラブルに巻き込まれたくなかったが、 リャンが NO'1 となって 剣道部主将で美少女のチェイに愛の告白するのを見て、 彼女に一目惚れしたギョンスは NO'1 の座に興味を抱くものの、 退学を恐れて身を引くことに。 探しても探しても "師備忘録" が見つからないので、焦った教頭は、 最強のパワーを誇る「学園鎮圧教師五人衆」を火山高校に招き入れる。 5人の教師たちは恐るべき "気” の力と武術を駆使して、 たちまち生徒たちを支配下に置くことに。 ギョンスの強さを察知したチェイは、 平和を取り戻せるのは彼しかいないと信じているが、 彼はそれに答えられず、でも悩んでいた。 そんな時、彼女は牢中のハンニムからギョンスと会いたいと頼まれる。 夢の中で "師備忘録" の真の意味を悟った彼は、 NO'1 の座をギョンスに譲る決心で、 彼に己の持てる術の全てを伝授する。 だがそれでもギョンスの心は変わらなかった。 ある日、「学園鎮圧教師五人衆」の力をバックに得た教頭は、 生徒の弱体化を徹底しようと部活動停止を命じる。 教頭に裏切られたと知ったリャンは、 全校生徒の前で五人衆のリーダーであるマー先生に闘いを挑んだ。 だが彼の怪力も先生には通用せず、惨めな敗北を喫してしまう。 そこでリャンは危険な賭けに出ることに。 毒茶により石の様に固まった校長が居る学校の離れ「修練室」に忍び込み、 "師備忘録" を探し出そうとしたのだ。 しかし、気配を察知して駆けつけた五人衆に捕われ、 教頭の命令で講堂に集められた生徒たちの前に引きずり出され、 挙げ句の果てに見せしめと称し、彼を洗脳されることに。 五人衆と教頭の暴挙を目の当たりにし、 これまで我慢に我慢を重ねてぎたギョンスの怒りがとうとう爆発する。 遂に火山高の未来を賭けた、 生徒と教師による壮絶な死闘の決着が切って落とされるのだった。 この映画「火山高」は、華麗な武術や強力な "気” を操って 覇権争いを繰り広げる生徒たちと、 絶対的支配を目論む教師たちとの目の眩む様なパワー・バトルを 最新のCG技術とハリウッド顔負けのワイヤー・アクションを駆使して描いた 学園ファンタジック・アクションであります。 ワイヤー・アクションといえば、 「マトリックス」や「グリーン・デスティニー」が 主な映画として上げられますが、 韓国映画が自国スタッフの力で本格的に導入するのは 本作が初めてというのが驚いてしまうほどの素晴らしい出来映えです。 あと、それぞれの登場人物がみんな個性的で面白い! 「闘わずして、この学校を出ることを禁ず!」という校風な学校なだけあって、 重量挙げ部とか柔道部とか、全体的に体育会系な生徒ばかりで、 なんせ男子がそろいも揃ってみなゴツ可愛いという、 私の下心をかなり満たしてくれちゃって、 あっという間に、観終わってしまった最高に楽しい映画です。 特に主人公のギョンス扮するチャン・ヒョクの 飄々とした雰囲気と若い体育会系男子特有の魅力(色気)にヤラれて もうメロメロ。 彼がシャワー室にて全裸で水を "気” で操る場面には鼻血が出そうでした。 それを盗み見ていた高嶺の花の美少女が一瞬でキスを許すほど 惚れてしまうのも当たり前です。