2011/12/18 Category : ハ行 Batman Begins 2005 クリストファー・ノーラン監督作品「バットマン・ビギンズ」について 長引く不況によって 治安と経済の悪化が深刻化する大都市ゴッサム・シティにて、 少年時代、資産家である両親を凶弾で失ったブルース・ウェイン。 十数年後、成長した彼は両親を殺した犯人が 裁判を終えた直後に殺害される現場を目撃する。 そこで、彼は弱者を痛めつける悪を倒して生きることを決意するものの、 復讐心、自分への罪悪感、悪とは何か、正義とは何か? といった葛藤に悩み、 より大きな力を身につけるべく、宛のない放浪の旅に出る。 世界中を放浪して逞しく成長したブルースは、 犯罪が混沌化する裏社会に身を投じ、 果てにはブータンの刑務所に収監される。 そこでデュカードという謎の男と出会うことに。 彼は、怪人物ラーズ・アル・グールから送られた使者であり、 ヒマラヤの奥地を根城とする強力な自警団 “影の同盟” のリーダーだった。 「天の定める正義」の実現を目指すその同盟は、 正義の為なら手段を問わない危険な結社でもあった。 ブルースはそこで苦行を積んだ経験豊富なデュカード自身に共感し、 彼を師匠として心身のトレーニングを指導され、 敵の目を欺く術を教え込まれることに。 最終的にそこでの教えと自分の出した考えとそぐわず、 ラーズ・アル・グールを殺し、影の同盟を殲滅するも、 デュカードは殺せなかった。 ブルースは、ゴッサム・シティへと舞い戻ってきた。 しかし街は、より一層、悪の組織と暴力が蔓延り、腐敗が進んでいた。 そんな時、ブルースはもう1人の自分の存在に気づく。 幼い自分が恐怖を感じた体験を基に、犯罪者に対し、 今まで培った知力、体力、戦いの技術、 そして大いなる資産によって造りだしたハイテク機器等、 可能な限りの力を駆使して戦うことで恐怖心を抱かせるシンボル 「バットマン」という存在。 彼は影からこの街を守るべく、「バットマン」になる決意をすることに。 執事のアルフレッドや応用科学部に左遷させられたフォックスの協力を得て、 唯一、悪に染まらない警察官のゴードンと共に、 ゴッサム・シティに蔓延る悪を次々と駆逐していくバットマン。 ブルースの少年時代において1番の親友かつ、 恋心を抱いていたレイチェル。 今や地方検事補となって、この街を蝕む悪と必死に闘っているものの、 この街の腐敗は警察組織、司法制度、政界にまで及び、 彼女の努力はなかなか報われない。 ブルースは、レイチェルの支えになるべく影から見守るものの、 自分が「バットマン」であることを悟られてはいけない故に、 彼女の前では軽薄な男で通すことに。 1番理解してもらいたい人に理解されないジレンマを抱く最中、 ゴッサム・シティに新たな悪の脅威が到来するのであった。 ブルースの悪に対する拘りは常軌を逸している故に、 バットマンが誕生したのだけど、あまりにも人間性からかけ離れていて、 時折みせる葛藤が酷く不幸に思えてくる。 そもそも悪党に殺された両親の復讐心が原動力になっており、 同時にこの悲劇を招いたのは 非力な自分の責任だと云う自己嫌悪も含まれる故に、 表立って成就できないのは致し方ないにしても、 それはあくまで “個” の正義であって、“公” の正義ではない。 結局 “英雄行為とは所詮こんなものだ” と云う意義を問いかけられたことで、 かつての華々しいヒーロー像を粉々に打ち砕かれた感がこの映画にあるせいか、 少ししょんぼりしてしまうところがありますが、 逆にこんなヒーローも凄い頑張ってるのだから、 厳しい現実に向けて自分も共感したならば頑張っていけよ!と言われている様で、 誰かに頼らずに自ら進むべくの先駆けさながら、 ある意味、この現在の風潮においてピッタリ嵌まる、 これが今の時代のヒーロー像なんでしょうね。 スーパーマンやこのバットマンは アメリカ合衆国自体を比喩したものとされていますが、 ブルースをアメリカに、ゴッサム・シティを世界に置き換えて この映画を見直してみると、何だかもの凄いリアル感が.... 「力を持った善は、それに対抗する強力な悪を生み出す....」と 最後、ゴードンがいう様な台詞を述べ、 新たな敵の存在を暗示して次回作品「ダークナイト」に繋がるのですが、 余韻の残るこの幕引きが、ことさら意味深過ぎて、 もうお腹いっぱいって感じ。 なんとも、深遠なるテーマが潜んでいるものであります。 PR